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南京政府軍に南京戦の捕虜があてられた事は、歴史的事実なのですが?

asd********さん

2013/5/3116:33:48

南京政府軍に南京戦の捕虜があてられた事は、歴史的事実なのですが?

おかしな話しです。

日本は南京戦に勝利した後、
「南京政府」という傀儡政権をつくります。
この南京政府軍に南京戦の捕虜があてられた事は、歴史的事実なのですが?

本当はこうだった南京事件 板倉由明 日本図書刊行会 387ページ



北 博昭 『日中開戦】 67p によると、シナ事変は「事変」であって「戦争」ではないので、陸軍にはそもそも俘虜という概念はなく、俘虜収容所もなかったということです。

「交戦資格」云々しても意味がないわけです。昭和12年7月~20年8月にいたるまで、俘虜を収容する場所がまるでなかったのです。何十万人もの投降者が出たらしいのですが、解放されるか、処分されるかどちらかであったようです。 武藤章参謀本部第三課長(シナ事変当時)が東京裁判で証言しておりますから間違いないと思います。


北 博昭 『日中開戦】 67p に武藤章参謀本部第三課長の東京裁判での証言記録が載っているということですよね?

ぜひ読んでみたいので、出版社名分かりませんか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

2013/5/3118:19:16

上海に送られたり、クーリーとして使われたりしたようですね。


『なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和13年1月6日に「3670人も居るそうだ」と第一六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和12年末ころ上海に送られたものとみられ、残りが、汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。』
本当はこうだった南京事件/板倉由明より p387


写真)劉啓雄(りゅう・けいゆう)少将。彼は南京安全区に潜んでいたところを捕らえられ、しばらく苦力として雇われていたが、のちに汪兆銘の親日政府の軍の軍長となった(朝日版支那事変画報 1938.1.1刊)

上海に送られたり、クーリーとして使われたりしたようですね。...

質問した人からのコメント

2013/6/6 21:37:28

虐殺派は、いつも逃げますね(^o^)
誇りやプライドのない人はいいですね。
私達には、とても真似のできない事です。

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