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何故、明治の製糸工場は、群馬の富岡とか長野なのですか? ①.山の多いところ、...

mer********さん

2013/7/2517:02:18

何故、明治の製糸工場は、群馬の富岡とか長野なのですか?

①.山の多いところ、もっと各地に色々あるように思えます

②薩長土肥が威信を勝ち取った地域、ならば、まず自分達の所に、先進企業を持って来たいと

考えるのが普通ではないかと思うのですが

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ベストアンサーに選ばれた回答

los********さん

2013/7/2611:36:11

失礼ながら、なかなか良い質問だと思います。
教科書だと、どうしても長野や富岡の印象が強くなってしまいますね。

日本における養蚕・製糸の歴史はずいぶん長いのですが、とくに生産が拡大したのは江戸時代後半から明治にかけてですね。
生糸を使った絹織物産業で言うと、西は京都の西陣、東は群馬の桐生と、この二か所が双璧とされた時代があります。

江戸時代は各藩が産業振興のために奨励したので、ほぼ全国的に製糸業も成立しました。
なので、①の疑問は当っています。
地形図の地図記号に「桑畑」がありますが、これはかつて全国各地に養蚕業が成立し、蚕のエサとして桑の生産が活発であった(桑畑が多かった)ことの表れです。

そして、なかでも長野とか北関東・東北地方にかけてがとくに盛んな地域となりました。

明治になって、生糸が有力な外貨獲得物資(輸出品)となった(他に目ぼしい産品が無かった)ため、政府も民間も製糸業に注力するようになりました。富国強兵・殖産興業というアレです。

ただ、江戸時代の養蚕・製糸は多くの場合地域ごとに小規模に成立しており、結果として品質もまちまち(良いモノもあれば悪いモノの多い状態)で、輸出品として評価が低い(高値が付きにくい)ものも多くありました。

生糸は輸出した先では機械を使って織物にするのですが、その際に糸の太さや強度が異なると効率が悪く、そのために品質がまちまちだと安く買いたたかれてしまうのです。

つまり、輸出品として評価を得るには、安定して品質が高いことや供給量も安定していることが求められ、そして利幅を拡大するために高い生産効率(生産コストの低下)が必要となります。

そのために、政府が最初に設置した西洋式の先端工場が富岡製糸場です。外国の先端技術を導入し、お金をかけて言わば採算度外視で設置したものです。

なお、群馬の製糸の大半を富岡が担ったと思われるかもしれませんが、そうではなく、
生糸生産農家が連合し、共同組合を組織して品質と生産効率の向上を図る動きも多く、生産量としてはそちらの方が主体でした。
「碓氷社」はその代表例です。

一方、長野(岡谷周辺)は民間の努力、創意工夫を中心として品質向上・生産拡大が行われた代表的生産地です。
http://www.okaya-museum.jp/material/

②については、もしかしたら工場の建設場所を選ぶ過程で、一部にはそういう動きもあったかもしれないですね。
でも、政府全体としては、当時真剣に富国強兵・殖産興業を考えていたと思いますよ。
少しでも早く生産性を上げて近代化しないと・・・寄り道する余裕は無かったと思います。

たとえば、戊辰戦争で抵抗した東北地方は、その恨みから開発から取り残されることになった・・・なんて考え方がされることがありますが、
一方で、大久保利通の肝いりで宮城県に大規模な港湾を造る「野蒜築港」なんていう事業もありました。
これは完成後に台風で破壊されてしまい、失敗に終わりますが、大久保利通が暗殺されなければ再建計画が進んだかもしれないし、そうすると仙台湾が太平洋側の拠点港湾・一大産業集積地になっていた可能性があります。

当時なりに、大局を見据えようとしていたと思います。

質問した人からのコメント

2013/8/1 20:28:13

降参 沢山のご回答有難う御座います
成る程、単調に考えていましたが、多くのマッチする点、地元の協力、地形、外国人の都合などもあったのですね
上記のご回答は、質問の域を超えて、興味と好奇心をくすぐる文章でした
成る程、納得いたしました

本当に沢山の誤解という有難う御座いました
心より感謝いたします

特に、地元の方、大きく感謝いたします

ベストアンサー以外の回答

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spe********さん

2013/7/2520:19:07

群馬在住です。

富岡について答えます。
幾つかの理由があります。

①養蚕が盛んで原料の繭が確保できた。

②建設に必要な広い土地を用意できた。

③製糸に必要な水が既存の用水を使って確保できた。

④燃料の石炭が高崎や吉井で採れた。
(高崎市は富岡市の近隣の市で、吉井は合併し高崎市になりました)

⑤外国人指導工場の建設に地元の同意が得られた。

これらの結果富岡が選ばれたそうです。

政治的な背景は無かったみたいですよ。

nau********さん

2013/7/2520:07:24

原料となる生糸の生産地だったからです。
今ほど流通が発達していませんでしたから,繭の生産地(養蚕)の近くに製糸工場を作らないと,羽化してしまい繭がだめになるのです。

養蚕は,桑が水はけのよい所を好む植物なので,台地や丘陵地など方が良いのです。それと,低地の場合は米を作る方が生産性が良いので,米が作れない所に桑畑を作ったのです。それが,北関東から長野周辺だったのです。

jum********さん

2013/7/2517:31:51

養蚕の製糸工場が基盤だったからでしょうね。

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