浅野内匠頭はなぜ吉良上野介を斬り付けたのですか?

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切腹せよといわれる前には遺恨がありといっていますので、勅使おもてなしのことでのうらみがあったのでしょうね。家臣は何が原因かわかっていませんが、200人ほどいた家臣のうちで47名が殿の敵討ちをしました。このころの武士は人をきったことがありませんでしたので堀部安べえ意外は、初体験でした。切りつけた原因は様々な憶測があり、当時の赤穂の塩の製法を押してくれといったがおしえなかったとか、勅使の接待の指南料をけちったとか、が原因でかなりのいじわる爺さんを実演したことできれたため殿中できりつけたというのがのがもとだといわれています。

>浅野内匠頭はなぜ吉良上野介を斬り付けたのですか? ご乱心(精神異常)と思われます。 >吉良上野介は斬りつけられた上に仇討されたって理不尽じゃないですか? ご乱心だったため、相手が方も抜かない状況で斬りつけても殺すことができず、切腹して果ててしまったので、家来が殿の無念を晴らすために敵討ちをしたのです。 幕府の処分が乱心として浅野内匠頭を赤穂藩の藩主を辞めさせて、浅野の血縁のものに交代させれば誰も死ななくてうまく収まったと思います。

おっしゃるとおりです。 忠臣蔵は浅野内匠頭事件をモチーフにした飽くまで「創作」なので、忠臣蔵を歴史的事実と思っている人は間違いです。 大石蔵之助をはじめ家臣たちも殿様がなぜ吉良に切りかかったのかわかりませんでした。 また、よく「けんか両成敗」という人がいますが、この時代の武士のけんかとは、双方が暴力の応酬をする(暴力による攻撃を受けた側が正当防衛の範囲を逸脱して相手に仕返しをする)ような事態であり、単なるもめごとのことではありません。 吉良は一方的に切られただけなので、この場合は「けんか」には該当しません。幕府もこの事件の直後、暴力の応酬があったのか、それとも浅野が一方的に切りつけたのか、事情聴取をした上で、また精神錯乱による事件ではないか、浅野の言い分を聞いたうえで、切腹を申し付けています。(当時も精神障害者による犯罪は寛大に扱うことになっていた) 差別につながるのであまり言いたくないのですが、私は(浅野の自供には反しますが)浅野の精神疾患による事件と見た方がいいと思います。 もし、精神が正常であったとするならば、テロ行為といわざるを得ません。 赤穂の遺臣の討ち入りは、たとえて言えば、アルカイダの残党がホワイトハウスに侵入してオバマ大統領を暗殺したか、オウム真理教の残党がサリンで首相官邸を襲ったようなものです。 決してほめられるべき行為ではありません。

浅野長矩(内匠頭)の母方の叔父に当たる内藤忠勝も、芝・増上寺において四代将軍・徳川家綱の葬儀中に永井尚長に対して刃傷におよび、切腹させられています。 精神疾患を患いやすい血筋だったのかも知れません。

浅野内匠頭が斬りつけたのにはそれなりの理由があってのことで、喧嘩両成敗のところ、内匠頭だけが処罰を受けたのは理不尽との理解が世間にあったのでしょう。 浅野内匠頭の乱心の理由について興味深い説があります。 「忠臣蔵」の世界では討ち入りの際に山鹿流の陣太鼓を打ち鳴らしたことが有名です この山鹿流とは山鹿素行の教えです。山鹿素行は朱子学の幕府の解釈に異論を唱えて罰を受け浅野家に預けられた人物で、尊皇思想の源流の一人とされています。 このため浅野家は尊皇思想の強い大名家だったとされています。(大石内蔵助は幼少の時山鹿素行の薫陶を受けたそうです。) 吉良上野介と浅野内匠頭がもめたのは勅使接待においてです。 もしかすると幕府大事の吉良上野介は勅使に対して失礼を重ね、浅野内匠頭は意見をし、吉良上野介はそれをむげにしていたのかもしれません。 吉良上野介は天皇に対して直接的な暴言を述べた可能性すらあります。それで浅野内匠頭は頭に血がのぼってキレたとしたら・・・。 そして大石内蔵助はそれを遺言から理解して仇討をしたとしたら・・・。 佐幕の吉良と尊皇の浅野の衝突だったのかもしれず、そうであれば幕末をほうふつとさせるもので興味深いと思います。