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太平洋戦争について『日本が大国に勝てるわけがない』と考えていた著名人

foo********さん

2013/9/2823:10:44

太平洋戦争について『日本が大国に勝てるわけがない』と考えていた著名人

以前、wikiか何かで読んだ著名人の記事で『日本が大国と戦争をして勝てるわけがないと思っていたため……』という文を読んだ記憶があります。
それが誰の記事なのか思い出せずに悶々としているため、心当たりのある方に教えて欲しいと思ったため質問させていただきました。

もちろんwikiは完全に信用できる媒体ではなく、また常時編集可能なため、いまではその記述が失われている可能性もあり、また自分でもそれがwikipediaの記事であったのかどうかも確信しかねております。

なので、開戦時または戦時中『大国に日本が勝てるわけがない』と考えていた実在する著名人を教えていただきたいと思っております。

どうかよろしくお願いいたします。

補足失礼いたしました。軍人ではなく文化人の方をお願いします。

書き忘れましたがその人物は過去に欧州に留学経験があり、従軍はしましたが消極的であったといったような記述であったと記憶しております。

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kou********さん

編集あり2013/9/2905:53:38

多分お考えの人とは違うと思いますが、著名な哲学者の西田幾多郎が真珠湾攻撃を聞き、知り合いの海軍士官に「今の日本の文明のレベルで英米と戦争できると思っているのかね」と言ったそうです。

また、学者で文化人の清沢 洌(きよさわ きよし)は欧州ではないがアメリカ生活9年で帰国、評論家・文化人として高く評価されました。残念ながら敗戦の三ヶ月前に病死しましたが、生きていれば戦後の政府で少なくとも外務大臣くらいにはなって活躍したと思います。彼の日記が「暗黒日記」として出版されていますが、実に面白い。戦争中の日本、日本人の状態がクールな筆致で書かれています。是非ともお読み下さい。清沢は愛国者でしたが、客観的に見て日本がアメリカに勝てる訳がない事を理解しており、それなりの立場で非戦を説きました。しかし清沢に限らず、あの時代に非戦を大声で唱えたらたちまち逮捕、投獄、拷問、、、そんな時代でした。

また、東京帝国大学教授だった南原繁(のち東大総長)は開戦の日の朝、この様な句を読みました(南原は欧州留学経験あり。しかし年齢的に従軍はしていません。清水も清沢も同じ)

「人間の
常識を超え学識を超えて
おこれり日本世界と戦ふ、、、」

あと考えられるのは作家の海音寺潮五郎。40歳の時に陸軍報道班員としてマレーに送られましたが、勝ち負けより道義的な面から日本軍のアジア侵略に批判的でした。マレーに行く時、報道班員たちが港に集合、担当の陸軍少佐が軍刀をがちゃつかせて「今後はお前たちは陸軍の命令に従う。文句を言うやつはたたっ斬る!」と怒鳴りつけた。するとある男が大声で「たたっ斬れるものならたたっ斬ってみろ!」と叫んだ。それが海音寺潮五郎だった、と。怒鳴りつけた陸軍少佐は真っ青になったそうです。理不尽なおどしに負けない薩摩男児の面目躍如たるものとして有名な話です。

ちなみに、ハルノートは日本による開戦の理由ではありません。当時の日本の国策はアジアから西欧列強を追い出して(と、ここまではいいのですが)、日本が新しい支配者になる事でした。そして日本のアジア征服の邪魔になりそうな米英をたたいておこう、と始めたのが太平洋戦争です。つまり当時日本が行っていたアジア侵略の延長上にあったのが太平洋戦争でした。これは私の「自虐史観」ではなく(笑)、当時の政府・軍部の文書にはっきり書いてある。

そして日本軍はハルノートが出る数ヶ月前から対米英開戦を決定していて周到な計画・準備を行っており、ハルノートを受け取る前に既に真珠湾攻撃の為に海軍機動部隊を出撃させていました。12月8日早朝の英領マレー半島奇襲上陸、真珠湾奇襲攻撃、そしてそれに続く香港攻略、フィリピン攻撃、グアム島攻撃、ウェーク島攻撃などがハルノートを受け取った11月27日から二週間足らずで計画・準備・実行が出来るわけがないのです。軍事知識の無い人には理解出来ないかも知れませんが。知恵ノートの「ハルノートは太平洋戦争の原因ではない」をお読み下さい。このあたりの状況がよく分かりますよ。

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lin********さん

2013/10/120:03:11

ずいぶん前ですけど、こんな記事がありました。

別冊歴史読本「日本帝国最期の日」1991年 新人物往来社
収載記事「非国民二等兵の敗戦記」作家・夏堀正元氏

早稲田大学文学部
洋行はせず、フランスの詩人ポォル・ヴァレリイに傾倒し
「精神の自由」が守られるためには枢軸国の敗北が必須との信念を抱く

昭和20年3月 学徒兵入営
大学で軍事教練を拒否したため不良学徒兵、非国民扱い

少し頭の弱い同年兵が脱営しそうなのが見てとれたため忠告
「日本は八月なかばには負けるよ。だからもう少しの辛抱さ。
つまらぬことは考えるなよ。」
相手に密告され、反戦の煽動で営倉入り 私的制裁は一段ひどくなる

6月 肋膜炎で入院 入院中に敗戦を迎える
原隊に戻るとかつて虐待した下士官・上等兵たちから下にも置かぬ扱いを受ける

「あんだは8月なかばに日本は負ける、と予言したべ。
これからの日本は、あんだのような人の世のなかになるべさ。・・・」

>わたしは日本の最高の支配者とともに、大衆の戦争責任も
>追求していかなければなるまいなという思いに深くとらわれていたのである。

yob********さん

編集あり2013/9/2823:49:28

wikiはちょっと存じ上げません。
ご質問のようなお話は

山本五十六氏、伊藤整一氏

などを聞きます

真意は不明ですが、山本五十六氏は真珠湾奇襲成功時に、司令官の南雲中将に

アメリカ本土を奇襲し、戦局が有利なうちに講和すべき。
よって、このままアメリカ本土へ攻撃を

と進言したと伝わります(伝説の域を出ませんが)

dix********さん

2013/9/2823:43:09

米内光政、山本五十六、井上成美、この三人は負けると思っていたのでないでしょうか?

rai********さん

2013/9/2823:38:20

あなたのご質問から逸脱するかもしれませんが。ハルノートはご存じでしょうか?日本は自尊自衛の戦争をしたことは、すでに周知の事実です。(いわゆる侵略戦争などではなかったことは、多くの国民が気付き始めたことです。)
当時、軍の上層部では日米開戦のシミュレーションがなされ、勝ち目がないことは分かっていたそうです。日米開戦回避の意見も根強い中、戦わずして属国となるよりも、戦って敗北することが分かっていてもむしろ戦争の道を選ぶと。
そこで、考えられたのが「負け方」で、いかにして効果的に負けるか(英国を封じ、米国との長期戦を避けるか 等)
これは著名人云々ではなく、軍の上層部において日米開戦にあたり、ダメージを最小限にとどめ、敗戦後を最大限有利に進めるために、当時考えられていたストーリーであります。

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