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なぜ「昭和の日本軍」は、それ以前、あるいは「戦後の自衛隊」などと比較しても、...

shp********さん

2014/3/407:01:53

なぜ「昭和の日本軍」は、それ以前、あるいは「戦後の自衛隊」などと比較しても、明らかに軍紀が乱れ、独断専行が目立つ「ひどい状態」になってしまったのでしょうか?

補足皆様、ご回答いただきありがとうございます。

gyozais様よりいただいた「弓削論文」参考になります。

yuukouduki様より貴重なご指摘がありました。

>職業軍人(軍官僚)の服務と遵法の意識についてということでいいでしょうか。

その部分は、とても気になっています。

この質問は、こちらの過去質に回答した事がきっかけですので…
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312189041...

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ベストアンサーに選ばれた回答

yuu********さん

編集あり2014/3/520:32:07

質問と回答がかみ合ってない感じなので、最初に確認をしておきます。
質問の後段もありますので、軍紀とされているものは戦場で兵士たちを縛るものではなく、職業軍人(軍官僚)の服務と遵法の意識についてということでいいでしょうか。

昭和に入ってからの軍隊がその前後においてない異常な状態があったのは否定できないからです。
これには、世代の交代が第一にありました。
明治からそれまでにかけては、幕末にはじまって命がけのやりとりを経て、また天皇や政府首脳(元老)たちとも個人的なつながりがある人たちが多い世代でした。
ところが、どんな権力構造でも言えますが初期には個人の力量や魅力、あるいは忠誠心に支えられていたものも、世代が交代すると官僚化するのは避けられません。
昭和の軍人たちはまさしくそういう世代だったのです。
具体的に言えば、彼らの多くは実戦経験などろくになく試験によって出世を約束されたエリートたちでした。
荒木貞夫は威勢の良い言辞で人気がありましたが、昭和期になると彼の辺りが日露戦争の実戦経験最後の世代になってしまうのです。
そして、バーデンバーデンの密約で有名な永田や東条らは完璧な試験エリートでした。
彼らが反長州(反山縣)で結託したのは理由があります。
それ以前に陸軍を取り仕切っていたのは山縣有朋で、陸軍人事についてはその意向を無視できませんでした。山縣はとかく評判の悪い男ですが、人事は下手ではありませんでした。また彼は実戦の勘が悪い試験エリートを嫌っていました。
ペーパーエリートからしてみれば、こうした山縣あるいは一部の(長州系)実力者が人事権を握るのは、非常に不公正=出世が脅かされるように思えたのです。
この究極の形が、「陸大出でなければ出席できない」、「陸大出でも幼年学校からではないとまがい物」といった精神構造です。
世代の交代に加えての、育成環境と出世環境が拍車を加えたのです。
子どもの頃からその世界にどっぷりつかっていれば世界は狭くなりますし、その世界での唯一のルールで成功していれば増長もします。

昭和の陸軍の争いとはほとんど人事の争いでした。
これに悪材料となったのが、”社会主義の流行”です。いわゆるマルクス・レーニン主義はテロを積極的に肯定していました。
理由はどうあれ、様々な軍人たちが謀略と証した政略ごっこや革命ごっこに興じたのはこの風潮のおかげです。そして、この風潮にかぶれたのは、社会主義が議会と文民政府の否定を意味したからでした。
試験エリートからすれば、人事が山縣から議会や文民政府が左右できるなどなお容認できないことだったのです。
良識派とやらの海軍井上成美でさえ、海軍大臣に文民がつくのは否定的だったと知れば拒絶感は理解できるでしょう。

このために宇垣が天皇から首相に任命された際に陸軍省のエリートたちは一致して拒絶に走りました。
実力者の宇垣が首相となったならば陸軍の権力構造にも影響が及ぶと考えてのことでした。
軍に限らず官僚機構は、出世の方式が硬直的で、外部から干渉されないとなればいくらでも腐敗します。
昭和の陸軍は軍官僚による組織内の権力の独占があったのが腐敗の最大の原因でした。

補足。
昭和の軍の法運用の問題は非常に厄介です。
理由は単純で法の運用と抜け穴を探すのが得意なのが官僚で、軍官僚は組織として一個で完結しているからです。
その部分について述べようとすれば知恵袋では困難です。
ですので組織の意識だけで言えば、昭和の軍部はそれ一個で完結しているとの意識が強過ぎ、そのために外部からの干渉をとことん嫌いました。
南北朝での楠正成が戦死した湊川の戦いがありますが、あれは「後醍醐天皇による守備に不向きな京都防衛の意思が優先されて、優位ではない湊川での戦いを強いられた。このような軍事的不合理は、政治の軍事に対する容喙で悪しき例である」と教えていたほどです。
彼らにとって、政治や政府、それどころか天皇でさえ軍組織の前ではどのようなものであったかは容易に連想ができるでしょう。

質問した人からのコメント

2014/3/5 22:45:23

感謝 質問者(私自身)の完全につかみきれていなかった疑問に、かくまでも的確な内容の回答をいただいた事、感謝です。

他の皆様も、貴重なご意見をいただき、本当にありがとうございました。

皆様、またよろしくお願いします!

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ID非公開さん

2014/3/412:56:06

軍規は乱れていません。

ただ、軍の上層部が次第に官僚化して、自身の出世や権力欲のために政府の言うことを聞かなくなったのが問題です。
昭和に入った頃の中堅幕僚たち(少佐~大佐)は、子供の時に日清戦争や日露戦争を迎えており、世間では非常に軍人に対する尊敬の念が強かったのです。
そんな時代に幼少期を過ごした彼らは、「俺も軍人になって尊敬される人間になりたい!」と思い軍人を目指した「軍国少年」が多かったのです。
しかし、いざ苦学して士官学校に入って軍人になってもあまり尊敬されない…。それもそのはずで、彼らが軍人として入隊したころには世間の軍人に対する評価は随分と変わってしまいました。
第一次世界大戦が終わり、世界的な軍縮の機運が高まり、もはや軍人はお払い箱同然のお荷物でしかなかったのです。
大量の将校(士官)がクビになり、軍事費は削減され、彼らのプライドはズタズタでした。

このような社会情勢の反動として彼らは「俺らはホントは凄いんだぞー」と思い込むようにより、次第に政府の言うことも聞かず暴走していくのでした。
日清・日露戦争で若いころ良い思いを散々してきた陸軍首脳ら(南次郎陸相とか金谷範三参謀総長)は彼らにとって邪魔者以外、何者でもなかったのです。

現代で言い換えれば、高度経済成長やバブルで散々良い思いをしてきた今の大企業の専務や部長が、平成不況のただなかに入社した若い中堅の社員にとっては邪魔だという思いに似ていますね。
半沢直樹で有名になった『ロスジェネの逆襲』(バブル世代の銀行員とバブル崩壊後の平成不況世代の銀行員との対立)とはいわば、昭和初期の一夕会と宇垣派閥の対立の戦後版ともいえるのではないでしょうか?

fok********さん

2014/3/412:28:22

>独断専行
石原板垣らに厳罰で対処しなかった陸軍内部の慣れ合いの結果、満州事変を手本にすれば勲章のもらい放題
何をしてもよし、全てが事後承認される上級将校にとっての「美味しい火遊び」の大流行

>軍紀が乱れ
かような組織内において正常な規律が存在したはずがない

gyo********さん

2014/3/411:02:23

日中戦争以降に深刻化した末端の軍紀の乱れについてはこちらの論文が参考になります。
http://www.nids.go.jp/publication/senshi/pdf/200703/5.pdf

満州事変以降横行した上級将校の独断専行はまた別の話ですが。

ryu********さん

2014/3/410:02:33

そんなことありませんけど。

kag********さん

2014/3/409:04:23

別に昭和陸軍は言うほど軍規は乱れてないです。
統帥権が内閣からも政府からも独立してたから、独断専行をしたというだけ。
戦後は陸軍は完全に解体され、陸自は一からアメちゃんの指導のもとに建軍されたのと、日本国憲法には統帥権がなく、自衛隊の最高指導者は内閣総理大臣であり、自衛隊は政府の管理下にあるから。

どんな軍隊でも末期は「ひどい状態」になるもんですけどね、勝ってたソ連軍とかも相当「酷い事」をしてますけど。

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