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旧約聖書に見られる神の愛について、うかがいます。 いきなりキリスト教で神の愛...

nip********さん

2014/3/1121:01:36

旧約聖書に見られる神の愛について、うかがいます。
いきなりキリスト教で神の愛(アガペー)が登場するのではなく、
旧約聖書のうちにも、人々に恵みをもたらす神の愛は多く見られるのでは
ないでしょうか?

よく、高校の倫理の教科書では、キリスト教は愛の宗教で、
無差別・無償のアガペーを特徴とし、
ユダヤ教の神は、罰する神、厳しい戒律を守らなければ、災厄をもたらす、
他の宗教を信仰して偶像崇拝をすると、嫉妬する神
という対比で教えられることが多いかと思います。
基本的な図式は合っているにしても、釈然としません。
キリスト教の神の愛はすでに旧約聖書の中でも
説かれているものではないでしょうか。
たとえば、出エジプト記にある不思議な食物、
マナの話などが該当するのでないかと思います。
ご存じない方のために一応説明すると、
モーゼに導かれたユダヤの民は、エジプトを 無事に脱出したものの、
シンの荒野まできたところで食栂が尽きてしまった。
飢えを嘆くと、突如、天からパンが降ってきたと言われます。
この不思議な食べ物がマナと呼ばれているそうです。

キリスト教は世界宗教なので、ヘブライ人(ユダヤ人)に限らず
無差別・無償に神は恵をもたらす、というところだけは相違しますが
神の愛という信仰の中心は
旧約聖書も新約聖書も変わらないのではないか。
聖書学やユダヤ・キリスト教についてはまったく素人なので
トンチンカンな質問かもしれませんが、お許しください。

旧約聖書の該当する部分を貼っておきます。

http://bible.e-lesson1.com/2exodus16.htm

補足みなさん大変博識で驚きます。そして、指摘が鋭く、深い。唸ります。こちらは、つっかけサンダルのにわか宗教マニアなので、もっとまじめに聖書を旧約から読んでみなければと真剣に思っています。知的なカンフル剤を打ってもらったので、今回、この質問をしてよかったなと思っています。本来、怠惰な自分に喝が入ったかな?

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mot********さん

2014/3/1306:00:34

他の回答者さんの答で良いと思いますがちょっと補足をします。
今でも基本的にはユダヤ人はイエスをメシアとは認めていません。但し一部のユダヤ教徒にはイエスをメシアと認める人々もおります。
ユダヤ教とキリスト教の相違は最終的にはキリストの再臨によりユダヤ人がイエスをメシアと認めることで解消するというのがキリスト教の考え方です。その意味では神はけしてユダヤ人を見捨てはしなかったのです。また神はユダヤ人をいつも歴史の中心に置いておられます。2000年ぶりのイスラエルの再建には大きな意味があります。また1世紀にローマによりイスラエルが滅ぼされユダヤ人は世界中に拡散しましたがこの人々現代のユダヤ人の血統的繋がりについては良く分からずキリスト教においても議論がなされています。
キリスト教とは要するにキリストの再臨を待望する宗教と言っても過言ではないでしょう。

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kan********さん

2014/3/1215:57:18

良い話は気を付けて下さいね、悪魔は細部寄り忍び込む、天使の姿で現れるとか…聖典にも色々有りますね、書かれた物が全てでは無いですね…経験、体験、分別、選択が大切ですね…失礼しました…

nin********さん

2014/3/1200:53:08

「雛形思想」を説いた人がいましたね。
え~と、だれだっけ?

まあいいや。
ソフィーさんが指摘したとおり、イエスの出現は予言されたものです。
そして注意深く読み解くと、すべては「同じことの繰り返し」なのです。
細かいところは端折りますが、要するにイエスの雛形がモーセであり、
モーセの雛形がノア、そして人類の雛形がヘブル人だと言うことです。
また、象徴的なこと(海が割れる、水が噴き出す、炎の柱に導かれる)
などは(水面を歩く、病人を癒す、死から復活する)などの奇跡として
権能の継承者であることを示しています。

そこで問題なのが指摘通り「神の嫉妬深さ」「厳罰」「災厄」など。
これらは「終末」の雛形です。

このような雛形形式はロトとカインにまで遡ります。
最初の殺人事件ですね。
これがハム、セム、ヤペテへと続き、エジプト人、へブル人、カナン人へ。
そして中東の一地方のお話は全世界へと拡大します。
ちなみにハムは黒人の祖、ヤペテは白人の祖、セム系は我々黄色人種です。

ここで注意が必要なんですが・・・。
イエスはセム系なんです。

蛇の二枚舌とはよく言うところです。
しかし、聖書にも二枚舌は存在します。
イエスはこう言いました。
「私はイスラエルの子ら以外には遣わされていない」
しかしキリスト教は世界宗教であり、愛と人権の宗教です。
しかし、ハム系には「奴隷として呪われよ」とノアに呪われています。
またヤペテ系はキリスト教を立てることで聖書を乗っ取りました。
こんにちイスラエルに住む自称ユダヤ人はへブル人と血のつながりは
ほとんどありません。

振り返って神の愛とはなんなのか。
言葉を換えれば「祝福」です。
旧約では祝福されたのはセム系のヘブライ人だけです。
この「偏愛」の神はいかにして「無償愛」へと昇華したのでしょうか?

思い起こせばエサウの祝福はヤコブに奪われました。
ここにも雛形の影があります。
ユダヤ人にとって聖書は過去の遺物ではなく、今も継続する螺旋の
テキストです。
まさしく歴史は繰り返すのであり、いまも現役の教科書です。
長文になったのでここらでやめますが、神の愛とは、思ったよりも
単純なものではありません。
しかし簒奪したり利用したりが可能な、極めて不安定なものと言えます。

聖書をもっと読み解けば、神の愛とは我々日本人の想像するものとは、
全く異質な側面が存在することにも留意しましょう。

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