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「歴史にifは無い」とは、そもそも誰が言い出した?

thor1203さん

2007/8/2116:10:09

「歴史にifは無い」とは、そもそも誰が言い出した?

これ疑問なんですよねぇ。
『歴史に「もしも」は無いのは無論だが…』なんてよく言いますが、考えてみるとこれ誰が言い出した言葉なんでしょう?

一見もっともそうに聞こえますが、これは歴史という学問の自由性を制限してしまう言葉に感じる。
学者あたりが「歴史は高尚な学問で庶民が楽しむ物ではないのだ」と民衆から歴史を取り上げるために言った言葉のように思えるのです。

だれもがこの言葉の正論性を否定できない、って事は相当有名な歴史学者の言葉なのか、歴史物語の一節なのかって思えますが、考えてみれば聞いたことがない。
「司馬遼太郎が言った言葉」って話をインターネットで拾いましたが、そんな新しい言葉とも思えないのですよねぇ。
まあ、私が無知なだダケ、という気もするんですが(苦笑)。

御存知の方がいましたら、どうかお教え願います。

補足80名近い人が見ているにも関わらず未だに確固たる答えが出ない。
やはりさしたる根拠のない言葉に過ぎないのでしょうか?

「if」は歴史学に限らない、あらゆる知的考察に必要なものです。
もちろんスポーツにも。
「起こった事を検証する」には「何が起きたか」を理解しなければならない。
それは「起きなかったらどうなるか」を考がえ比較検討する事です。

「起こってない事」は「起こった事」を考察するための第一歩なのです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

thor5569さん

2007/8/2719:25:25

残念ながら答えが出ませんでした。
やはり「特定の根拠は無い」とみなすしかないようです。
「歴史は必然の積み重ね」だという言葉がこれの元だという話も出ましたが、結局それも元が分からなければ同じ事です。


学問は疑問によって始まり探求される物です。
歴史学とて同じ事、決して必然という安易な逃げ場を作ってはいけない。

kotori672007さんが共産主義の歴史を紐解いて歴史の「必然」を強調しましたが、これも「必然」という神の手によって動いた物では決してない、人の手によって動いた物なのです。
戦前の日本が共産主義を弾圧したのは、共産主義が反国家思想で国民意識を崩壊させる物だったから。
戦後の日本で共産主義が隆盛したのは、連合国側が日本人の国民意識を崩壊させるための道具として利用したから。
そして連合国の中に、共産主義を日本に植え付けようとしたソビエトが存在していたことも大きな理由。

どんな事にも何らかの理由がある、決して人の手の触れられぬ神の手によって動いている物ではない。
多くの人々がその時々の「if」を積み重ね、歴史は前に進んでいるのです。


学者という者は、素人が口を出すことを嫌うものです。
それは歴史に限らない、物理学だろうが生物学だろうが天文学だろうが同じ事です。
そしてスポーツも、昔は特定の選手と学者の探求すべき道で庶民の物ではなかった。
彼等は自らの殻に閉じこもり人の限界に向かって突き進んでいた。

だが現代のスポーツは違う、多くの人がそれを楽しみながら探求しその多くのデーターによってスポーツ力学は大きな発展を遂げた。
特定のエリートが殻に閉じこもるより、大きな結果を探り出すに至ったのです。

傲慢な学者の驕りは、結局小さな結論しか生まない。
天文学も物理学も生物学も、全ての学問は小さな素人のひらめきを受け入れたとき大きな発展を遂げるのです。

昔の歴史学も同じだった。
多くの学者達が勝手に設定した「必然」に固執し、どんな世界も「古代」から「中世」に至り「近世」「近代」に発展すると決めてかかり歴史を固定化した。
ヨーロッパこそ歴史の中心でアジアや中東、アフリカには歴史など存在しないと決めつけていた。

「必然」は結局、多くの学者達の客観的思考を阻害して歴史学の発展を妨げていたのです。

今の歴史学がアジア中心や時代区分の再構築、ヨーロッパ以外の歴史の再考察という分野を受け入れるようになったのは、結局は民間の歴史家の意見を受け入れざるを得なくなったから。
高邁な歴史学者達が占有していた「if」の独占を、民間が許さなくなったからです。


だからこそ私は思います。
そもそもこの「if」を民衆から取り上げようとした者は誰だったのだろうか?
歴史学の発展より、自らの尊厳を優先させたわからずやは誰だったのだろうか?と。

本当に、誰なんでしょうか?


なお、thor5569はthor1203の別IDです。
削除するのも勿体ないので、こういう手段を取らせて戴きました。

ベストアンサー以外の回答

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kotori672007さん

2007/8/2119:42:18

 確か、本当は「歴史は”必然”の積み重ね」が本来の言葉と思います。誰がいったか知りませんけど。
 思考過程としての「仮説」は構わないんですが、必然を忘れ、自分が勝手に設定した「仮定(都合のいい妄想)」にはまりきって、客観的思考ができなくなっている例をよく見ます。

 歴史学は「起こったことを検証して、未来につなぐ」学問ですから、「起こってないこと」は考察の第1歩にならないのです。最初の題目も一致しなければ、論戦にすらならないでしょ?
 誰からも学問を取り上げることは出来ません。必要があれば、いかに禁じても残りますから(戦中・戦前の共産主義がいい例です。あれほど、暴力的に禁じたのに、軍部は滅び、共産主義は残ったのは、何らかの必然があったのでしょう)。

 スポーツでも、「たら、れば」は駄目、「たられば」を言う前に、言わないでいいプレイをせよ、とはよく言います。

makojiji2003さん

2007/8/2117:17:44

回答にはならないかもしれないがもっと古くから「歴史にもしもはない」と言われていたと思います。
と言うよりは、歴史で起きた事実が一つしかないわけで、どのように「もしも」を加えて想像を逞しゅうしても現在にはつながらないということだと思います。幕末、明治維新の本が1,2冊あれば、小説家は一生メシに困らないといわれることもあるほど、いろいろな想像がめぐらされた作品が出てきて、読む方はそれなりに楽しいのですが、所詮はフィクションでしかないわけでからね。やはり事実は一つしかないのです。

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