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上方落語で、弟子がいない、あるいは、少ない落語家の作った改作や新作は、一代限...

mab********さん

2014/4/2423:31:38

上方落語で、弟子がいない、あるいは、少ない落語家の作った改作や新作は、一代限りの噺になってしまうのでしょうか?

具体的には、桂文太の「贋作」シリーズと、笑福亭福笑の「憧れの甲子園」なのですが、後継者はいるのでしょうか?

文太の「贋作」シリーズは、玉石混交だとしても、大変な労作だと思いますし、福笑の「憧れの甲子園」は、個人的には一番好きな新作落語です。
文太は弟子がいないし、福笑にはたまがいますが、たぶん古典以外は自作の新作しかやっていないのではないかと思います(自信はないですが)。

米朝絡みの「一文笛」や「まめだ」、「除夜の雪」は、出来も良いと思いますし、実力のある多くの弟子が既に演じているので、確実に後世に残ると思います。
六代文枝の創作落語も、弟子が多数いるから、いくつかは多分何十年かは残るのでしょう。

文太・福笑の改作や新作は、稽古をつけてもらっている人はいるのでしょうか?
(もっとも、「憧れの甲子園」は、福笑の力量とフラがあってこそと思うので、たまなら力量はともかく、フラが合わないとは思いますが)

補足お二方回答ありがとうございます。

確かに、文紅も弟子はいなかったのに「ぜんざい公社」は残っていますから、出来の良いものは残るのでしょうね。

「憧れの甲子園」は、大敗した監督が酒を飲んで荒れるだけの噺だけれども、出来は良いと思うのですが、演者を選ぶ噺だから難しいでしょうか?

贋作は東京落語を上方落語に焼直したものだから、「幾代餅」あたりは万人受けすると思うのですが、継承している人はいないのでしょうか?

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bas********さん

2014/4/2500:25:34

上方に限らず「一代限り」は新作落語の宿命じゃないですか。
御説の通り新作は自分で喋るために作るのが基本ですので、
自分が喋って面白いように作るのは当然でしょう。
ネタはそれを繰り返して練り上げていくものだし。
間違いなく残念ではあるんですが。
と言って一体誰が「絶体絶命」を受け継げるか、想像付かない。

それと、新作でも作者の代名詞的演目になってしまうと
後輩は遠慮したり、手を出しにくいのではないですか。
弟子ならまだしも一門外は余計に。
この点は過去に古典系でも同じ傾向がありましたよね。
稽古を付けるだけならあるかもしれませんが、口演は度胸が要ります。

文太師は聞いたことありませんが、福笑・・・ 破壊力バツグンですね。
録音は少ないし、東京にいると実演の機会自体が少ないので
聞くこと自体が大変です。
たまは東京でもたまに見かけますが、私はたまより福笑に来てほしい。

役に立たない書き込みですみません。

質問した人からのコメント

2014/4/28 23:04:14

降参 お二方、回答ありがとうございます。

私は福笑と文太が大好きなのですが、御両所とも「憧れの甲子園」は無理だと思っていらっしゃるのですね...

文太の贋作シリーズだけでも、是非生き残ってほしいと思います。

私は落語家としての六代文枝は大嫌いですが、落語作家としては、偏見を捨てて見ないといけないのでしょうね。
実際、塩鯛演じる「鯛」は、おもしろいと思いましたし。

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kns********さん

編集あり2014/4/2520:14:41

この人だから受けるという作品はやはり一代限りという事になるでしょうね。演じるとしたらよほど自分に合うように変えなければいけないと思います。ですから福笑さんのネタは福笑さんだから受けるんだと思います。しかしネタの根底にある演者の考え方や解釈は弟子のたまが自作で受け継いでるように思います。

「ぜんざい公社」というもはや古典となった落語が有ります。これは戦前の作品「改良善哉」と言う噺を昭和30年代に桂文紅師が改作して演じ出して評判になり、上方では文紅師より広く広まり、色んな演者が演じるようになり、江戸にも移植されました。弟子が居なくとも、出来の良い作品、又は一般的に誰がやっても受けるネタは残ります。

三枝・作の創作落語も誰がやっても有る程度は受けます。ですから、弟子以外に上方では各一門で誰かは三枝・作の創作落語を演じています。
また、最近は東京の噺家でも演じる人が多くおります。江戸の寄席で頻繁にかかるようになったと聞いております。
ただ、古典と違って勝手にやってはいけません、作者が現存している場合は必ず、お稽古なり上演許可は受けなければなりません、それが噺家間の礼儀と言う物です。
しかし落語は噺家みんなの財産です、弟子のみが必ず受け継ぐと言う物ではないという事です。良い作品は色んな演者によって現在まで受け継がれてきました、それが古典と呼ばれるものになったんですね。

文太さんの贋作シリーズは他の人でも比較的演じやすいと思いますので、もっと若手がお稽古に通ってもよいように思いますね。

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