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”野人”という言葉が好きな方に質問です。 「野人」と言われて、思い浮かぶ人は誰...

ega********さん

2014/5/1912:56:31

”野人”という言葉が好きな方に質問です。
「野人」と言われて、思い浮かぶ人は誰ですか?

①元サッカー選手の岡野
②ボブサップ
③プロレスラー藤田和之
④新日本プロレスの中西学
⑤アウストラロピテクス
⑥その他

解答お願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

dir********さん

2014/5/1915:26:44

自分は中西学が思い浮かびましたね

質問した人からのコメント

2014/5/26 12:12:07

降参 私も中西が浮かびました。

ベストアンサー以外の回答

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sca********さん

2014/5/2500:59:52

野人といえば岡野か中西学ですね。でも個人的に新日本ファンなので中西です

kim********さん

編集あり2014/5/1923:55:19

野獣ブルート・バーナードですね。
ブルート・バーナード





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ブルート・バーナード


プロフィール


リングネーム
ブルート・バーナード
ジム・バーナード

本名
ジェームズ・バーナード

ニックネーム
野獣

身長
185cm

体重
120kg(全盛時)

誕生日
1921年6月6日

死亡日
1984年10月21日(満63歳没)

出身地
カナダの旗 ケベック州モントリオール

スポーツ歴
アメリカンフットボール[1]

デビュー
1956年[1]
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ブルート・バーナード(Brute Bernard、1921年6月6日 - 1984年10月21日)は、カナダ・ケベック州モントリオール出身のプロレスラー(生年については諸説あり)。本名はジェームズ・バーナード(James Bernard)、通称ジム・バーナード(Jim Bernard)。ニックネームは「野獣」。



目次 [非表示]
1 来歴
2 得意技
3 獲得タイトル
4 エピソード
5 脚注
6 外部リンク


来歴[編集]

トロントのプロフットボールチームを経て[2]、プロモーターのジャック・ブリットン(ジノ・ブリットの父親)にスカウトされ[3]、1956年に地元のケベックにてプロレス入り[1]。デビュー当時はジム・バーナードの名義で活動し、1957年にはトロントのメープル・リーフ・ガーデンやニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにも登場した[3][4]。

1962年にアメリカ東部地区でブルート・バーナードと改名し、スキンヘッドの野獣スタイルに変身。全身無毛の怪奇派スカル・マーフィーとタッグチームを結成して、その凶悪ファイトで各テリトリーを席巻した[5]。1963年5月16日にはWWWFにてバディ・オースチン&グレート・スコットからUSタッグ王座を奪取、11月14日にゴリラ・モンスーン&キラー・コワルスキーに敗れるまで戴冠した[6]。シングルでは、その間の7月20日にメリーランド州ボルチモアにてブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座に挑戦している[7]。

1966年にはマーフィーと共にオーストラリア(ジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)に遠征し、7月15日にマーク・ルーイン&ドミニク・デヌーチを破り、IWA世界タッグ王座を獲得[8]。2週間後の同月29日にルーイン&ベアキャット・ライトにタイトルを奪われるも、8月には奪還に成功している[8]。その後、マーフィーとのコンビを一時解消してアメリカに戻り、1967年3月にテキサスにてフリッツ・フォン・エリックからNWA USヘビー級タイトル(後のNWAアメリカン・ヘビー級タイトル)を奪取、同王座の2代目のチャンピオンとなった[9]。同年8月には同じ野獣系のブル・カリーを破り、テキサス・ブラスナックル王座も獲得している[10]

1968年11月、日本プロレスに初来日。開幕戦のタッグマッチで日本側エースのジャイアント馬場をピンフォールし、アントニオ猪木とのシングルマッチでも敗れたものの好勝負を展開。また「ウーウーウー!」と奇声を発しながら(「人間サイレン」なる異名を与えられた)、ギクシャクと歩いて入場するパフォーマンスも怪奇ムードたっぷりで、ヒール人気を博した。ロニー・メインと組んでの猪木&大木金太郎とのタッグマッチで、角材で大木の耳をそぎ落とす「大木金太郎耳そぎ事件」を起こしたのもこの1968年の来日時であり、日本マット史上に残る戦慄の事件として伝えられている(真相は大木が角材で殴られる直前に頭を動かしたことによるアクシデント)[1]。

1969年はオーストラリアでマーフィーとのコンビを再結成し、ドン・レオ・ジョナサン&トニー・パリシ、ディック・マードック&ラーズ・アンダーソン、マリオ・ミラノ&スパイロス・アリオンなどのチームを相手にIWA世界タッグ王座を争った[8]。同年5月にはマーフィーとのタッグが日本で実現、BI砲のインターナショナル・タッグ王座に2回挑戦している[11]。マーフィー死去後の1970年7月にも日本プロレスへの3度目の来日を果たし、同じくマーフィーの盟友だったムース・ショーラックと組んでBI砲のインターナショナル・タッグ王座に挑戦した[11]。

1970年代に入ると、アメリカではノースカロライナのNWAミッドアトランティック地区を主戦場に活動。1973年11月にはジェイ・ヨークと組んでネルソン・ロイヤル&サンディ・スコットからNWAミッドアトランティック・タッグ王座を奪取し、ジン・アンダーソン&オレイ・アンダーソンのミネソタ・レッキング・クルーともタイトルを争った[12]。1974年12月、当時リック・フレアーとのコンビで同王座に戴冠していたリップ・ホークが欠場した際は、ホークに代わるフレアーのパートナーとなってタイトルマッチに出場したこともある[12]。

1970年7月22日に行われた大木金太郎との対戦では凶器としてナイフをタイツに隠して用意していたことが翌日の新聞で明らかになり、これが物議をかもしたこともある。[13]

1975年1月、新日本プロレスに初参戦。すでに全盛期を過ぎていたが、外国人選手の招聘ルートが乏しかった当時の新日本では準エース級の扱いを受けており、シングルでのタイトル挑戦はなかったものの、初期の新日本を支えたレスラーの一人となった。日本プロレス以来となるアントニオ猪木とのシングルマッチも何度か組まれており、1975年7月の来日時は猪木を失神寸前まで追い込み、反則勝ちを収めている。また、ハンス・シュミットやキラー・カール・クラップとのコンビで猪木&坂口征二や坂口&ストロング小林の北米タッグ王座にも挑戦した。1978年10月に新日本への4度目の登場を果たすが、これが最後の来日となった(日本には通算7回来日)。

その間も、アメリカではベビーフェイスのトップスターを相手に各地で狂乱ファイトを展開し、1975年はNWAジョージア地区でアンドレ・ザ・ジャイアントやチーフ・ジェイ・ストロンボーと対戦[14]。トロントのメープル・リーフ・ガーデンでは、1976年4月11日にブルーノ・サンマルチノのWWWF世界ヘビー級王座への久々の挑戦が実現した[15]。NWAミッドアトランティック地区では同年12月26日、ノースカロライナのグリーンズボロ・コロシアムにてサージェント・ジャック・グレイと組み、ダスティ・ローデス&マイティ・イゴールと対戦している[15]。1977年下期からはザ・ファンクスが主宰していたアマリロのNWAウエスタン・ステーツ地区にて、J・J・ディロンをマネージャーに同タイプのフランク・モレルとのコンビで活躍。12月15日に同地区認定のタッグ王座を獲得し、翌1978年2月2日にドリー・ファンク・ジュニア&ラリー・レーンに敗れるまで保持した[16]。

晩年となる1980年代初頭は、ジム・クロケット・ジュニアの主宰する古巣のNWAミッドアトランティック地区で活動。オックス・ベーカーなどとタッグを組み、リック・フレアー、ブラックジャック・マリガン、ペドロ・モラレス、ルーファス・ジョーンズなどの人気選手と対戦した[15]。この当時はジョバーのポジションに降格していたものの、1980年9月9日に海外武者修行時代の天龍源一郎をパートナーに、ミッドアトランティック・タッグ王者チームのバズ・ソイヤー&マット・ボーンに挑戦している[15]。

1984年10月21日、拳銃自殺で死去[3]。63歳没。思うように動かなくなった身体を嘆いての自殺といわれるが、死因については、銃の手入れをしていた際の暴発による事故死とも[17][18]、ロシアン・ルーレットによるものともされている[19][20]。

得意技[編集]
ニー・ドロップ
噛みつき・かきむしり・凶器など反則攻撃全般

獲得タイトル[編集]
WWWFWWWF USタッグ王座:1回(w / スカル・マーフィー)[6]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリングIWA世界タッグ王座(オーストラリア版):5回(w / スカル・マーフィー)[8]
NWAオーストラ・アジアン・ヘビー級王座:1回[21]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダNWA世界タッグ王座(フロリダ版):2回(w / スカル・マーフィー)[22]
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングNWAアトランティック・コースト・タッグ王座:1回(w / ラリー・ハミルトン)
NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回(w / ジェイ・ヨーク)[12]
NWAビッグタイム・レスリングNWA USヘビー級王座(テキサス版):1回[9]
NWAブラスナックル王座(テキサス版):2回[10]
NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / マイク・パドーシス、ミズーリ・モウラー)
NWAウエスタン・ステーツ・スポーツNWAウエスタン・ステーツ・タッグ王座:1回(w / フランク・モレル)[16]
オーストラリア版世界ブラスナックルズ王座2回、1974年、1978年
以上です。

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ray********さん

2014/5/1918:28:03

本命は④のお方ですが、どインディー的には⑥でIWAジャパンでの「UMA軍団」の雪男とビッグ・フット(引退済み)が思い浮かびました。
さて中身は誰なのかは判りかねますが「野人」キャラには本命の方とは変わりはないと感じております。
普通ですと①か④が多数を占めると思いますが、敢えて外してみた所であります。

rai********さん

2014/5/1913:16:16

野人といえば中西でしょう。サップは野獣ですね。

tri********さん

2014/5/1913:09:32

プロレス・ファンですが、
正直、①の元サッカー選手の岡野さんが
真っ先に思い浮かびました・・・(=^ェ^=)

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