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テアイテトス171d9-172b7 すなわち、一方で、多くの事柄において、つまり、「温か...

mid********さん

2014/6/302:05:51

テアイテトス171d9-172b7 すなわち、一方で、多くの事柄において、つまり、「温かい」もの、「乾いた」もの、「甘い」もの、それから他のこのタイプのすべてのものにおいて思われるそのとおりに、それぞれにとって

ありもする。しかし、いかなる婦人も子供も、また獣も、自分にとって健康的なものを知っているが故に、自らを治療するだけの力があるとは主張せず、もしどこかでというのなら、ここでこそ人は別の人と異なっているのだ、と主張しようとするであろうーこうわれわれは言いましょう。また、国家に関することについてもそれぞれの国家が自分にとってそうであると思って慣習として定めるような「美しい」もの、「醜悪な」もの、「正しい」もの、「不正な」もの、「敬虔な」もの、「敬虔でない」ものは、それぞれの国家にとって真にそうありもするのでありこれらの事柄においては個人が個人に対してより知恵があるということも国家が国家に対してより知恵があるということもいっさいない。これに対し自分にとって「有益である」か「有益でない」かを定めることにおいて他のどこかでなくここにおいて助言者が別の助言者と国家のある判断が別の判断と心理の点で異なっているとこの言論は同意するでしょう。そして国家が自己にとって有益であると考えて定めたことならば何にもましてそれこそが実際に有益であることにもなるなどとは敢えて主張しようとしないでしょう。しかしわたしが語る領域においてすなわち正しいものや不正なもの敬虔なものや不敬虔なものにおいてそれらの自然本性においては何もそれ自身の有を持つ者でなく共通に思われるものがそのように思われ続ける時間の数だけ真になるのだと人々は確信しようと思っています。そしてプロタゴラスの言論をそのままでは語らないような人々もまた何らかこのようなしかたで知恵にかかわっています。

この箇所はプロタゴラスの万人尺度説、感覚は主観的なもの(感覚の私秘性)の説明という理解であっていますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kno********さん

編集あり2014/6/311:47:49

逆です。

『「温かい」もの、「乾いた」もの、「甘い」もの、それから他のこのタイプのすべて』は人によって、違い、

『「美しい」もの、「醜悪な」もの、「正しい」もの、「不正な」もの、「敬虔な」もの、「敬虔でない」もの』は国によって違うが、


どちらの食品が、『健康的なものかを知っている』かについて、は人同士で優劣を比較でき、

どちらの政策が『「有益である」か「有益でない」か知っている』かについてはちゃんと政治家同士で優劣を「比較」できる。つまり

「より万人の真理に近いものが存在する。」と言っています。つまりプロタゴラス批判の部分
__
それにしても分かりにくい訳本ですね。岩波文庫で読み直した方が早そう。ここだけでも立ち読みして見たら?

質問した人からのコメント

2014/6/4 07:57:43

降参 渡辺邦夫訳ですが田中美知太郎訳は更に分かりにくいです。お陰様で大変助かりました。ありがとうございました。

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