目には青葉山ほととぎす初鰹 素堂の句なんだけど、このほととぎすは「テッペンカケタカ」って鳴いていたんでしょうか、

目には青葉山ほととぎす初鰹 素堂の句なんだけど、このほととぎすは「テッペンカケタカ」って鳴いていたんでしょうか、 それとも「カッコーカッコー」って鳴いていたんでしょうか? どっちで鳴いていたのかによってだいぶ情景がかわってくるように感じての質問です。 ごカイトーのほどよろしくお願いします。

補足

どうもアリガト♪素堂はこれいつつくったんだろ。鎌倉にての詞がきはあるみたいなんだけど。ボクはこれ旧暦の五月晴れ(梅雨のあいまの薄曇りの日)なんじゃないかな、って感じてんだ。でもやっぱし新暦GWのころの晴れ渡った青空のイメージのほうが近いんかな?

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難しい問題ですね。ヨーロッパで、モーツアルトやベートーベン、サンサーンスなどの音楽に登場するのは 全てカッコウの鳴き声をそのまま楽器で模写したものですから 良く分かるのですが、日本の場合、同じ漢字で、同類のよく似た鳥でありながら、鳴き声が違うってんだから、区別のつけようがないですよね。 以下は私見です: 素堂のこの句は、「目には青葉」「目に青葉」の二通りが残り、季語が三つ、句切れのない体言ばかりの構成など、学生時代から随分教室を賑わした句ですが、鳴き声のことが話題になったことは有りませんでした。私の実感としては、テッペンカケタカの方だろうと思います。ベートーベンのシンフォニー第六番「田園」の第二楽章には勇名なカッコウの鳴き声が有りますが、実際に日本の野山で聞くカッコウの鳴き声はもっと沈んだ淋しい声です。芭蕉が「憂きわれを 寂しがらせよ 閑古鳥」と詠んでいますが、ほととぎすは カッコウと呼ぶと芭蕉の頃 既に 不景気な物寂しい 鳴き声と考えられていたようです。これに比べて、テッペンカケタカは、注意しないで聞くと、ウグイスの子どもが、初めのころ 上手く啼けないで 鳴きそこねたような ホケケキョに似た響きで耳に入って来ます。ちょっと間が抜けた 微笑ましい鳴き声で、少なくとも 物寂しいものではありません。他の二語 「青葉」「初鰹」も初夏のエネルギーを代表する明るい 縁起の良いもの。青葉は新しい生命の象徴であり、初鰹も 素堂や芭蕉の生きた時代、 既に瑞兆の最たるものとされ、戦国時代は、武士の縁起かつぎとして、鰹節を「勝男武士」と漢字を宛てていたと言われています。 こうして観ると、ほととぎすも やはり威勢が良くなくてはならず、ものさびたカッコウよりは 、素っ頓狂ではあっても テッペンカケタカの方が活気に満ちて 三役揃い踏みのような主張が一本通るような気がするんですが、如何なもんでしょうか !?

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山ほととぎすですので「テッペンカケタカ」と鳴かられましておらてましたのではと思いましたのですけれども・・・。 「カッコーカッコー」と鳴かられましておらてましたのですのならば郭公(カツコウ)だと思いますので・・・。 どちらの鳥様もカツコウ科の鳥様になられますですけれどもと思いました