ここから本文です

鎌倉時代~戦国時代後期の武士・武将にとって「征夷大将軍」に価値はあっても、「...

kyo********さん

2014/7/2421:41:30

鎌倉時代~戦国時代後期の武士・武将にとって「征夷大将軍」に価値はあっても、「鎮守府将軍」は価値がなかったのでしょうか?

鎌倉時代において「征夷大将軍」は源氏が3代・摂家将軍が2代・宮将軍が4代と合計9代。建武の新政の時期においては、護良親王が征夷大将軍に任じられ、それに続く足利将軍家は15代。

『鎌倉殿』や『室町殿』の権威・権力の源泉のすべてが「征夷大将軍」への任官によるものではないのは理解できますが、この官職の価値もまた否定できません。

一方、いま手元にある『本当は間違いばかりの「戦国史の常識」』 (八幡和郎著、ソフトバンク新書) において、「織田信長は、嫡子の信忠を征夷大将軍にしたかった」と述べています。この説が正しいかどうかはさておき、それに続いて同書において

・信長は信忠への円滑な継承に気を遣っていた
・信忠には東北経営のための役職である秋田城介を名乗らせていた
・秋田城介は、酒田付近にいた出羽守の下で、最前線である秋田付近の前線司令官の官職

という趣旨のことが書いてあります。「秋田城介」がまるで征夷大将軍に近似するような価値をもつ官職であり、これを踏み台にして、いよいよ「征夷大将軍」就任を狙うかのような印象を受けます。

「征夷大将軍」 → 本来は、蝦夷を討伐するための臨時職であったが、それが武家政権の棟梁が就任するべき官職になっていった。

というのが歴史の流れであるとして、「征服し、馴化させた蝦夷の土地を治めるための官職。平時における陸奥・出羽の軍事権を掌握する官職」である「鎮守府将軍」は、征夷大将軍に匹敵する名誉職として注目されることはなかったのでしょうか?

閲覧数:
585
回答数:
2
お礼:
250枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

usa********さん

2014/7/2423:29:56

平安時代末期、鎌倉時代初期において最初から征夷大将軍に特別な価値があった訳ではありません。
源頼朝の政権基盤の根拠は
・「鎌倉殿」としての東国武士との主従関係
→武家の棟梁としてのご恩と奉公の契約関係を成立させる
・「正二位(前)右近衛大将」としての政所開設権利
→家政機関を設置することで朝廷とは独立した組織・役職の編成が可能になる
・「文治の勅許」による全国への守護・地頭任命の権限
→全国の警察権を掌握し、国司・国衙を有名無実とし支配権を全国に及ぼすことを可能とする
に立脚していました。

征夷大将軍は奥州合戦後に追加された肩書きに過ぎず、それ以前に政権を樹立するための上記要素は揃っていました。
頼朝は奥州合戦前に奥州へ侵攻する正当性を得るために征夷大将軍を欲していましたが、後白河法皇が聴さなかったため、後白河法皇の死後(=奥州合戦後)の任官となりました。
頼朝は奥州合戦後の征夷大将軍に意義を感じなかったのか2年で辞意を表明しています。

2代目頼家が幕府を継承した際はまず「鎌倉殿」として政権を継承しました。それから3年の間を空けて征夷大将軍に任官していますので、この政権継承において優先度が高かったのは鎌倉殿の地位でした。

ここでようやく、「鎌倉殿」という私的な地位を公的に担保する肩書きが征夷大将軍であると認識され始めました。

その後、3代目実朝以降の「鎌倉殿」が征夷大将軍に任官するにあたり、名実ともに征夷大将軍が武家政権の主権者(代表者)と認識されるようになりました。

鎮守府将軍においてはそう言った経緯がないため、特別な価値がある役職とみなされることはありませんでした。
(従五位の下前後の奥州における武士の権者といったくらいの認識のままでしょう。)

>『鎌倉殿』や『室町殿』の権威・権力の源泉のすべてが
>「征夷大将軍」への任官によるものではないのは理解できますが、
>この官職の価値もまた否定できません。
上記のことから私は逆だと捉えています。
征夷大将軍が鎌倉殿に権威・権力を与えるのではなく、鎌倉時代初期の鎌倉殿が征夷大将軍に任官したからこそ征夷大将軍に権威・権力を与えたのだと思っています。

質問した人からのコメント

2014/7/25 22:34:58

驚く 源頼朝が1180年に旗揚げしてから、順次、朝廷から「合法的な権利」をもぎ取っては鎌倉政権の権力の源泉としていたのは最近いろいろな書籍でも語られていますね。そのせいで鎌倉政権の成立時期が定まらなくなってしまって…

まるで古代ローマで帝政を創始したアウグストゥスの手口のようだ、と思っています。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

pir********さん

2014/7/2422:16:11

戦時の征夷大将軍、平時の鎮守府将軍であるからして併存するものではない。

よって鎌倉幕府開府以降は征夷大将軍が常設されたので、実質的に意味を失ったのです。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる