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nur_wer_die_sehnsuchtさん、こんにちは。いつもお世話になっております。 前回に...

gen********さん

2014/8/1711:34:09

nur_wer_die_sehnsuchtさん、こんにちは。いつもお世話になっております。
前回に引き続き、「全てのものに美がある」について、よろしくお願いします。

『物質のすべては光』では、主に質量の起源について展開されています。質量は「自然が妥協した」結果生まれたエネルギーによりもたらされるのだと。

そこで私は、質量にエネルギーが先行して存在しているのならば、私達の普段目にする「普通の物質」は、質量の塊と言うよりはエネルギーの塊と言った方が正確なのではないか、と捉えました。

nur_wer_die_sehnsuchtさんは「ものを物として捉えてはならない」とよく仰っています。
私達が普段「物」と言う場合、目に見える、質量を持った存在として捉えがちです。しかし実際そこにはエネルギーが通っており、無機質・無表情な「物」ではない。
東洋的には「気」とでも言うか、そういうものが根底に流れているのだと。
そういうことを仰っているのでしょうか。

「全てのものに美がある」とは、科学からアプローチするならば、「全てのものはエネルギーである」といった事でしょうか。



以下余談です。
『存在の耐えられない軽さ』は相変わらず難しいです。裏切りによって軽さを獲得しすぎてはいけない。私は重すぎず軽すぎずが一番なのかと読みました。
ですが文中に「重いほど大地に近づく」とあるので、重いほど人間的になる、ということだろうか、と迷っております。
犬のカレーニンは人間の辿り着けないものの象徴なのでしょうが、「軽さ」の象徴と言うには少し違うような・・・。

とまあ、こんな具合にぐちゃぐちゃと考えています(笑)。
非常に取り組み甲斐があり、深淵を感じさせる本ですね!
文学に潜っていく感覚を味わえて楽しいです。紹介して頂いたおかげです、ありがとうございます。

余計な報告もありましたが、以上です。
ご回答よろしくお願いします。

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nur********さん

リクエストマッチ

2014/8/1712:34:01

文学の重要性がわかって来たようだな(笑)。
何故文学が重要なのかと言えば、人間が理性で到達できるその先を示すことが出来るからなんだよ。芸術の意義はそこにあるわけ。
現代人は自分たちが科学文明によって高度な存在になったと思い上がっているよな。
しかしそうではないんだよ。昔の人間は理性の到達なんてことはとっくにわかっていたの。「それが怖ろしく狭く低い限界である」ということに、だよ。
だから芸術を尊重して来たわけ。
実際に現代人はその芸術が全然わからないじゃない。科学は理解出来ても芸術はわからないんだよな。だから全然高度化していない、ということなんだ。
「語り得ぬものを語る」というのが芸術の意味だからな。
それで質問だけど、まあ私の呈示でわかって来たようじゃないか(笑)。
まあ、量子力学に入ると人間は途端に無力を感じていくことになるわけだけど、まあ、この著者のスゴイ所は固定化しない、ということなんだよな。
有名なポパーの「反証可能性(Falsifiability)」について述べている部分があったよな。著者はあのどうしようもない科学の制約というものに果敢に挑んでいく。
その根底には「固定化しない」という崇高な信条があるわけ。
その一点の「固定化」が、無限の展開を見せていくことになるわけだ。
物質というものもそうなんだよ。原子、素粒子というものへ辿っていくと、それが様々な組み合わせである、と言うことがわかっていくよな。
しかしそれは単なる物質の固定化に過ぎない、ということを著者は考え始めた。素粒子の性質を幾ら決定し、その仕分けを完了したってしょうがない、ということだったんだな。
著者が求めていることは極小にして壮大なことであり、「物質とは何なのか」ということに他ならない。それを求めて極小の世界に潜っていくんだな。
そしてそれが一つの発見を導いた。それは全ての物質が固定されたものではなく、常に変化するものである、という結論なんだよ。
つまり我々が認識する物質、世界というものが壮大なドラマを背負っている、ということになったわけ。
それはハドロンを認識していた時代から既にあったものだけど、素粒子の世界に入ったら一層わかって来たことでもあるんだな。まあ科学的に、という意味でな。
そしてそれが全て「躍動」から始まっている、ということを今回君に感じて欲しかったんだよ。まあちゃんとわかったようだけどな。
「人生の意味」とか「人は何故生きるのか」ということを問う現代人は多いわけだけど、それに対して私が「生の躍動である」と答えている意味がわかるだろ?
躍動する物質が生命というものであり、しかし一方で実は全ての生命が躍動をしていたのだ、ということなんだよ。
「神」というものを光と象徴してきた古代人の感性の奥深さもわかるだろう。
まあ、人間がこの世界の構造に多少なりとも迫ることが出来るのは、人間だけが「時間」の概念を持つからなんだよな。
目の前のただの石ころだって、ドラマを持つわけだ。そのドラマというものは時間のことなんだよ。
但し、そのドラマを「ドラマ」と受け取るのか、単なる現代の歴史解釈的な無味乾燥な「事実の固定化」に向かうのか。そこが人生の分かれ目になることなんだよな。
私は躍動を尊ぶ人間であるわけ。だから全ての物質が美しいと感ずるんだよ。
ニーチェの「永劫回帰」は、躍動を見据える思想なんだよな。それに反して現代の固定化を望む思想は、クンデラの言う「あばたをえくぼと化する虚偽の鏡を覗きこみ、そこに映る自分の姿を見てうっとりと満足感にひたりたいという欲求」ということなんだよ。
現実を受け入れようとすれば、そこにドラマがあることもわかるわけ。しかし自分勝手な幸福を求めれば、そこは「虚偽の鏡」しかないんだよな。
君のレベルだからちょっと高度なことも書いたけど、大丈夫だろう(笑)。まあ考え続けてくれ。

質問した人からのコメント

2014/8/17 14:39:12

ご回答ありがとうございます。
「全てのものに美がある」少し理解が深まりました。「生の躍動」ですね。


今は文学でさえも、解剖し固定化する読みが蔓延しているようですね。私もよくやってしまいますが、また過去のご回答を拝見し勉強します。

ああ、クンデラにポパーにニーチェに・・・。未知の世界が沢山あって面白いです。
色々勉強してきます。少し時間はかかりそうですが(笑)。

ありがとうございました。

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