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武家の名門である清和源氏は清和天皇の皇子貞純親王の子経基の子孫ですが、当初は...

wor********さん

2014/9/421:23:14

武家の名門である清和源氏は清和天皇の皇子貞純親王の子経基の子孫ですが、当初は嵯峨源氏や村上源氏とは、違い摂関家の力を越えることなどなかったですが、

清和源氏は6世孫なので、この時点で朝廷内で大臣職に就くことは考えられなかったのでしょうか?

時代を下って、清和源氏平賀氏の竹内氏が足利将軍家の要請により堂上家に列していますが、久我家の家臣として仕えていた竹内氏の清和源氏は武家として大成しても、堂上家には通常ランクしなかったのでしょうか?

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sho********さん

2014/9/1122:34:27

仰るように賜姓降下して源姓を賜った時、清和天皇の6世孫でしたので、当時の天皇との距離が遠く(現代の民法では他人です。)当初より高い官位は得られませんでした。
公卿として立身出来なかったので、武家化して生き残るしかなかったのが事実です。
絶家になった賜姓皇族も含めて賜姓降下した旧皇族が大臣職にまで立身しているのは殆ど孫の代迄です。
公卿の最年少昇進記録は後三条天皇の孫の花園左大臣宮大将こと源有仁です。 今鏡によると、当世の光源氏と言われたほどの貴公子で、現在迄続いている公家の風習・装束を完成させた人物とあります。(衣紋道の祖とあります。)詳しい官歴が記載されています。( 絶家になっています。)

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