『武蔵』の名称由来は、諸説あり特定されてないのが現状です。
飛鳥京・藤原宮木簡に『无耶志国』とあり、7世紀頃までは『无射志(ムザシ)』や『牟射志(ムンザシ)』と記録されています。
他にも『牟佐志』・『無邪志』・『牟邪志』・『无謝志』・『胸刺』という表記がありますが、全て当て字とされています。
『胸刺(ムネザシ)』は“ムサシ・ムザシ・ムンザシ”とは別国ともあります。
正直、『无耶志国』という表記があったという以前のことについては何も解ってないという感じです。
なので、語源も確定していません。
ですが、江戸時代の国学者から民俗学者は『武蔵国』の語源について色々と唱えています。
①『陸路廼記』で近藤芳樹は、「総(フサ)国の一部が分割され総上(フサガミ)と総下(フサシモ)となり、後に相模と武蔵となった」と記しています。
②『古事記伝で本居宣長は、「佐斯(サシ)国があり、後に佐斯上(サシガミ)と下佐斯(シモザシ)に分かれ、これが転訛し相模・武蔵となった」と記しています。
③『倭訓栞』で賀茂真淵は、「身狭(ムサ)国があり、後に身狭上(ムサガミ)と身狭下(ムサシモ)に分かれて相模と武蔵となった」と記しています。
④『武蔵の昔』で柳田國男は、「雑木林を蒸す“ムス”と 焼畑農地を作る“サシ”から由来しているのでは」 と記しています。
武蔵国の領域は、7世紀頃に知々夫国(知々夫・秩父)と无耶志国・胸刺国が統合して確立しました。
713年に元明天皇は、令制国(律令国)を定め国名を漢字2文字に統一し、『風土記』を編纂することを命じた。
その際に、“ムサシ”に『武蔵』が当てられましたが、なぜこの字になったかは不明です。