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光孝天皇が自分の子を全て臣籍降下させていたのは、皇位継承前ですか。後ですか。

tsu********さん

2014/10/1911:33:48

光孝天皇が自分の子を全て臣籍降下させていたのは、皇位継承前ですか。後ですか。

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knz********さん

2014/10/1914:31:59

光孝天皇が践祚したのは、884年2月です。そして、6月に自身の子女29人源朝臣の氏姓を与えて臣籍降下させます。すなわち、臣籍降下は皇位継承後です。(天皇になる前は単なる親王ですから、臣籍降下をさせる権限ー天皇大権ーはありません)

この処置を取った理由は史料に明示されいませんから推測するしかありません。陽成天皇退位後の後継として有力視されていたのは、陽成天皇同母弟貞保親王(11才)か陽成天皇皇子で藤原基経の娘所生の貞辰親王(7才)でした。いずれも太政大臣藤原基経の血に繋がる親王でした。しかし、清和・陽成と2代続いた幼帝を嫌ったのか、55才で性格が謙恭寛大な時康親王(光孝天皇)を選びました。時康親王の母藤原沢子と基経の生母藤原乙春は姉妹でした。以上から、光孝天皇は基経に憚って、その血を受け継ぐ両親王のいずれかを将来天皇に立てる差し障りになると考えて、臣籍降下を行ったと思います。

質問した人からのコメント

2014/10/22 20:11:43

ありがとうございました。

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to4********さん

2014/10/1911:41:06

WIKIによれば即位と同時に、となっていますね。

臣籍降下させられるのは天皇だけなので、「すべての子を臣籍降下させた」のであれば天皇になってからと考えるのが普通でしょう。

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