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カントの「物自体」とはどういう意味ですか。

fly********さん

2015/2/2120:52:58

カントの「物自体」とはどういう意味ですか。

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kna********さん

2015/2/2121:36:09

あなたはどうやって物を見ていますか?

たとえばリンゴから放たれた光を目が受けて、そのデータを脳(というか思考)が分析してリンゴの像を作っているわけです。
そうすると、あなたが見ているリンゴの像はあなたの脳(思考)が作り上げたものということになります。

ということは、思考が作り上げたリンゴ像の他に、本当のリンゴの姿があることになります。
これが「物自体」です。

人間の感性や悟性によらぬもの、それが物自体です。

質問した人からのコメント

2015/2/22 12:40:01

成功 ありがとうございました。

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aim********さん

2015/2/2209:55:50

純粋理性批判では、お二方の言う通りの叙述ですね。
だから紡ぎ構成し、認識内容という外形性として現れているとみられる対象自体があるのだということに推論できますね。
つまり人間による認識での構成は属性であろうと。
そして更に進めると認識主体の外なのか、或は認識主体と同一なる存在性なのか、認識機能の外に対象としてその、物自体なるものがあるのだと。
ではその物自体をカントは何者だと思っていたのか。
まぁ換言すれば実体とか実在っていうことになるんでしょうが。
ここまでは学理の次元で許容される推論ですよね。
これを創造者とか、一なるそして多なる神というともう究理が許容しないでしょう。
まぁここまでが、哲学という信仰に足を入れない範疇での許容でしょうね。

「物自体」の性格を理解するための一助となるように、お二人さんの素晴らしいご解答に蛇足を付加しました。

leg********さん

2015/2/2200:49:48

ロックが人間に認識されるものを第一性質と第二性質に分けたけど、第一性質が物そのもので、実体とすれば、第二性質は五官で感覚される物の性質、色・匂い・肌触り・味・音・などの、感覚器官で受容される主観的なもの。
カントはそのロックの考えを引き継いで、私たちは物の性質とか属性は認識できるけど、物そのもの(物自体)は認識できない、不可知である、と言いました。

いい換えると感覚で受容される物の性質・属性をカントは現象と言い、私たちは現象は認識できるけど、「物自体」は認識できない、と言いました。

しかし、カント以後のドイツ観念論はカントの現象と「物自体」の区別を払拭して、現象一元論を唱えました。
ヘーゲルは「エンチクロペディー・小論理学」で言っています。
「物から、その性質や属性を排除して行ったら、後には何も残らない、空虚があるだけである。そんな残りカスのような物自体はあったとしても無意味である」と。
そしてヘーゲルは実体=主体(主観)説を唱えました。
その意味は、物自体というのは主体の疎外、外化にほかならず、弁証法によってその疎外を克服して、主体に還元できる、ということ。

カント以前のバークリーは「人間知識の原理」で、存在とは感覚されるものに他ならない、といって、物というのは感覚される性質の総体なんだから、それを除いて存在するものではないと言いました。
カントはそのバークリーの考えを「純粋理性批判」の中の「観念論論駁」の章で、バークリーのそれを主観的観念論と言って非難し、自分の観念論は、物の存在を認めるので、客観的観念論だと言いました。

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