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「神はいない」と断言している者がいます。

ダエモン神さん

2015/3/408:59:46

「神はいない」と断言している者がいます。

もちろん、日本国は中世ヨーロッパのように
無神論者を火あぶりにするようなおバカなことはしないが、
神はいない、と言っている人間に神社の鳥居を
「足で蹴ってみろ」と言えば、
彼らは蹴りをいれることができますかね?
また、神社のお札の上にうんこをすることはできますか?
無神論者にとっては鳥居もお札もただの「物質」に過ぎないのだから、
何でもできますよね?
いちど実験をしてみたいと思いませんか??

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ベストアンサーに選ばれた回答

信長さん

2015/3/410:09:17

やだよ・・・その無神論者が本当に無神論者かどうか試すために、人の気持ちがこもった鳥居とかお札とかに変な事をするのを見届けるって事自体が。
それじゃ、江戸時代の踏み絵と一緒じゃない?

信じない人がいることで、信じている自分の信念がぐらつくわけでもないでしょ?
あなたは神と交流できているのだから。


僕自身は神というものをいないと思っている。
だが、同時にいてもおかしくないと思っている。

なので、現時点では信じていない。(いるかいないかわからないものだから信じるの前段階。)

だが、あなたはいるとお考えになっておられて、そのお考えになられている神を信じてらっしゃる。
素晴らしい信頼関係だから、それに異を唱えるつもりはないし、それを肯定し理解する。
共感はできないが、理解している事で尊重をできている。

宗教観が違うもの同士ってそういう接し方であるべきだと思いますよ。
おそらくあなたの信仰する神そのものがそれを望むのではないかと?

俺の事を崇拝してくれてありがとな。だが別にお前自身が崇拝してくれるだけでも俺は充分うれしい。もし人に俺の事紹介したいんなら、そうそう目くじら立てずにわかりやすく気持ち込めて教えてやってくれな。

僕が神ならそういう風に紹介してもらった方がありがたい。

合ゴンかなんかで
“ねぇねぇ!!こいつさ・・俺のダチなんだけどスゲーの!!こいつスゲーの!!”
とか紹介されたらハードル高すぎて気負うじゃない?

“紹介すんね。こいつ俺のツレ。基本笑いにも寛容なやつだから仲良くしてねー”
位のが入りやすいでしょ?

神様のためにやろうとしてるんだろうけど、力入りすぎなんだよ。

  • 質問者

    ダエモン神さん

    2015/3/410:58:54

    私は無宗教者を軽蔑したり、
    宗教者を軽蔑することも嫌いなのです。
    とくに日本の進歩的知識人とやらは、
    「神はいません!!」といったり、
    「神は絶対います!!」と断定的にモノ言う奴が多すぎる。
    そこに違和感を持つのです。
    不快な思いをさせて申し訳ありません。

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質問した人からのコメント

2015/3/5 10:01:25

申し訳ありませんが、
再度投稿します。
今後ともご教示お願いします

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ベストアンサー以外の回答

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2015/3/416:59:00

唯一神と捉えるか神仏(神が様々に形を変えてる)かの違い。

日本仏教の浄土系の阿弥陀如来(阿弥陀仏)は、実体、唯一神だよね。

exc********さん

2015/3/414:15:41

お邪魔しますね。
日蓮正宗信徒のサーベルタイガーです。


私は仏教徒ゆえ神を信じる信仰者、いわゆる神仰者をフォローする謂われは無いのですがこの点に関しては質問者氏に同意ですね。

私なりの神の定義とは以前にも此処で書きましたが↓
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10138437585/a345353098
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10137391095/a343247731
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q10137763550

例えば一例としてアルベルト・アインシュタインの謂う処の『神』



ある日、記者から宗教についての見解を求められた彼は、

『このコーヒーカップをここに置いた人は誰か分かりますか?』

と記者に問いかけた。記者は当然

『もちろん貴方ですよアインシュタイン博士』

と答えた。対しアインシュタインはこう返す。

『コーヒーカップ等の小さい物ですらある力が働かなければ動かす事は出来ません。考えてみてください。この宇宙には数多の星がありそれらを一定の軌道で運行させる、その力を出せるのは、神しかいません』


この宇宙の天体達は発生と共に誰に教わるでもなく自ら自転を始める、更にはあまねく天体達は絶妙なタイムテーブルで恒星を中心に公転する。

これ等は人の都合などお構い無しに、どうしようもなく問答無用で有無を言わさず“そういうもの”として成立している。

地球発生から46億年、リリースされた命達は“まるで何者かがデザインしたかの様に”“そこに何者かの作為が働いているかの様に”絶妙な形を獲得して生まれてくる。

鳥が生まれながらにして空の飛び方を知っているのは鳥として生まれたが故であり、彼等は最初から飛ぶ事を想定したスペックを与えられた遺伝子を持って生まれてくる。

それはまるで、彼等は“自らが空をフィールドとして生きる種である事”を、初めから知っていたかの様に。


これ等は在る者から見れば単なる自然現象、しかし在る者から見れば↑前述のアインシュタインの様に、この万物の摂理こそが森羅万象という名の神として観測される。


つまり神とは血肉を持ったUMAとして客観的に成立するものではなく、観測者の中に“概念として間違いなく存在する”もの。



そして質問者氏に言いたいのは、神仰者達は飽くまで『信仰者』であって『物理学者』ではない、故に神の存在を物理的に証明する“証明責任”がそもそも存在しない。


神というUMAの首に縄を付け信じぬ者達の前に引き出して

『それ見たことか!神は確かに存在するではないか!』

↑これは物理学者の勝利条件であって信仰者のそれではない、自分達のスタンスを履き違えてはいけない、勝負する土俵を間違えてはいけない、存在を物理的に証明するのは物理学者の仕事であって信仰者のそれではない。

神という存在をどうしたいのか、神という存在に対して自分達はどういうスタンスを取るのかを間違えてはいけない。


物理学者が大衆に“見せる”のは『その存在』であるのに対し、信仰者が“見せる”のは飽くまで神を信じて生きる『自身の生き様』なのだよ。



故に、神仰者に対しアンチの立場を取る者達が『その存在が証明されていない事』を理由にダウトを出す事自体が本来御門違いであり、対する神仰者もそれに応じて『存在を主張する論陣』を張って応戦する事自体が見当違いと言わざるを得ない。



当たり前の自然現象としてカムフラージュされた、不気味とも言える万物の奇跡。

多くの者が見落としてしまうそこに、俯瞰するセンス(能力)在る者には万物のクリエイター(造物主)の気配を感じ取るだろう。


その観測者の心に映る森羅万象こそが、神。


この構図は、寧ろ否定する者が居るからこそ成立する方程式。

同じものを観測してもそこに神という概念を感じ取る者と自然現象としてしか認識できない者、両者が同時に発生するからこそ神という概念の存在は成立する。

神がもし客観的な存在として証明されてしまったならば、それは最早『絶対的』な存在ではなく我々人類と比較『相対』してハイエンドなスペックを有するだけの『生物種の延長線上の存在』になってしまう、つまり証明されてしまった時点でそれは神では無くなるというジレンマさえ孕むもの。


神は概念の存在として、観測し得る者の中に間違いなく存在するものだと思いますよ。

tak********さん

2015/3/410:35:23

神は絶対に居ない、鳥居もお札もタダの物質です、しかし人間が造った物です、神とは関係ありません、人間は信じますが、神は信じません、中世ヨ-ロッパでは無神論者を火炙りにしていたのですか?神を信じる事は野蛮であるですか?

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