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MAX140km以上の投手が珍しくなくなったのはいつ頃でしょうか?

ryo********さん

2015/4/2722:43:21

MAX140km以上の投手が珍しくなくなったのはいつ頃でしょうか?

昔は高校3年時でもMAX130km以上であれば速球派と呼ばれていましたし、140kmを超えれば堂々のドラフト候補でした。

現在では甲子園を見ていても、140kmを超える球を投げる投手なんてざらにいます。

夏の甲子園、それも後にプロ入りした投手に絞り、140km以上をマークしていたといわれる投手を年度別に挙げてみます。

1986年 近藤真一(享栄)
1987年 橋本清(PL学園)伊良部秀輝(尽誠学園)上原晃(沖縄水産)江口孝義(佐賀工) 川島堅(東亜学園)
1988年 篠田淳(大垣商) 川崎憲次郎(津久見) 前田幸長(福岡第一) 岡幸俊(高知 商)
1989年 大越基(仙台育英) 吉岡雄二(帝京)
1990年 戎信行(育英) 南竜次(天理)

ちなみに私個人としては川島堅、前田幸長、岡幸俊は140kmは出ていなかったと思っています。

今思えば1991年からかな・・・。

1991年 羽根川竜(東北)樋渡卓哉(市川)上田佳範(松商学園)井手元健一朗(四日市工) 細見和史(北嵯峨)谷口功一(天理)背尾伊洋(大阪桐蔭)若林隆信(佐賀学園) 大野倫(沖縄水産)

何故だか分かりませんが急に増えたような気がします。この年は後にプロ入りしなかった投手にも140km超の投手が散見され、センバツにも速球派の投手が結構出ていました。年度によっては少なかったり勿論波はありますが、この頃から一つの大会に140km超の投手が10人は見られるようになった気がします。

私の気のせいかも知れませんが、1991年が潮目だったかなと・・・。
皆さんはどう思いますか?

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2015/4/2815:20:48

85年かな。桑田(PL)、渡辺(伊野商)、中山(高知商)佐々木(東北)など140キロ超のプロでも活躍した投手が多かった印象です。

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r_e********さん

2015/4/2911:43:54

プロ野球1970年代後半~1980年代初頭には
TVのブラウン管に初速140km終速130kmと表示されてました
1970年代にはアメリカ製の持ち運び用スピードガンが持ち込まれたが
精度は非常悪く計測角度にバラつきがあり
あてになりませんでした、
私立校の環境がスピードUPとスピードガンの精度が良くなった事で
実際に140kmでてるという評価ではないですか。

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sno********さん

2015/4/2815:45:30

私の推論です。

スピードガンが、普及していくにつれ、計測された投手が増えていったことも一因なのかもしれません。
甲子園球場にスピードガンが設置されたのは1993年です。
神宮球場は、それより数年前の1989年だそうです。

1980年代は、現在のようにスピードガンが普及されていなかったから、計測できた投手が少なかった。それが、スピードガンが徐々に普及されてきて、計測された投手が増えたから140k投手であると認められた投手が増えたのではないでしょうか?

ご質問者様が、ご指摘された1991年は、まさにスピードガンが急速に普及していた頃でもあろうかと思います。

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