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よろしくお願いしますm(_ _)m 織田信長に対して、地方大名はどのような態度だった...

toy********さん

2015/4/3015:08:31

よろしくお願いしますm(_ _)m
織田信長に対して、地方大名はどのような態度だったのでしょうか。

わかるだけ教えて頂ければ幸いです。

例えば
北条、島津、蘆名は、織田に臣従姿勢でし

たよね?
武田は織田に潰されましたし、上杉は織田と対戦中で、長曽我部は織田に攻められるところでした。

例えば、龍造寺、大友、伊達、佐竹、最上などは、織田に対してどうだったのでしょうか

他にも、何かあれば、わかる範囲でご教授願いますm(_ _)m

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ベストアンサーに選ばれた回答

zun********さん

2015/4/3016:28:56

・龍造寺
大友が「耳川の戦い」で大敗するまでは、大友にときには従い、ときには敵対するという立場でした。
織田信長の生前に、とりたてて関係をもってはいないのですが、大友が島津・龍造寺に手を焼いて織田に泣きついているため、大友旧領を返還するよう求められる可能性があります。

龍造寺がそれに従わなければ、織田と対決することになります。

・大友
島津に圧迫されると、織田に名物を献じて救援を要請するなどしています。
それ以前においても、大友氏は南蛮貿易でもたらされる火薬の差配に影響力があるため、鉄砲を重視した織田とは取引があったという見方があります。

・伊達
伊達輝宗は織田信長の台頭を知り、東北の産物を献じたことが知られています。
伊達に限らず、奥羽の諸大名は似たようなことをしているため、織田軍が奥羽平定に来たなら、大きな戦もなく臣従しただろうと考えられます。

・佐竹
北条氏への対抗上、関東入りした滝川一益に協力しています。
それ以前は上杉氏との同盟を基軸にしてきたため、織田との関わりは薄いです。

質問した人からのコメント

2015/5/6 22:08:17

御回答ありがとうございましたm(_ _)m本当に助かりましたm(_ _)m

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mek********さん

2015/4/3023:59:35

宗麟と信長は早い時期から関係をもっていました。

宗麟は京都に家臣を常駐させ信長と連絡をとりあっていました。

信長の鉄甲船に搭載されていた大砲は宗麟が信長に贈ったものだとされています。

宣教師は信長の大砲を見て大友家以外の日本の大名が西洋に近い精巧な大砲を所有していることに驚いたとする記述を残していますが、実際は大友家の大砲だったという事です。

その後、島津氏との仲介を宗麟は信長に頼むわけですが、これはそれまでの両者のつきあいがあったればこそだったわけです。

ina********さん

2015/4/3018:28:15

がは!地方大名の心根などどうでもいいのだ!楯突き逆らう糞大名は絶滅にしてやる・・簡単だろこれが合理的というのだ、織田尾張宗家・(´・ω・`) ははは

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