実話です。私がやったことは偽善でしょうか…?

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そういうのは偽善とはいいません。余計なお世話といいます。そもそも3人いるのに傘は2本しかない、ここが問題です。3本あれば何の問題もおきません。むしろ見て見ぬふりのほうがよっぽどよかったかもしれないのです。世の中、正義って意外とそんなところにあるのかもしれませんよ。

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偽善では、善人の振りをして自分の好感度を上げる。 あなたは好感度を心配していないので善行です。 偽善では、善行をしたとして報酬を求める。 あなたは傘を損しています。 よって善行です。 ありがた迷惑のとき。 本人が善行をしているつもりであろうがなかろうが、それらに実質的な価値がない場合。 少なくとも2人は雨にぬれなくて済むでしょう。 間違いなく善行です。 マザー・テレサの言葉 人は不合理、非論理、利己的です。 気にすることなく、人を愛しなさい。 あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。 気にすることなく、善を行いなさい。 目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。 善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。 気にすることなく、善を行い続けなさい。 あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう。気にすることなく、正直で誠実であり続けなさい。 助けた相手から恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。 気にすることなく助け続けなさい。 あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。 けり返されるかもしれません。 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。 気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。 あなたは、あなたであればいい。

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カント倫理学では「よさ」を行為の結果ではなく、行為の原因すなわち「意思(動機)に求めています。 「結果の道徳」の場合は結果によって良し悪しを決めます。 しかし、カント倫理学は「動機の道徳」であり結果に求めることはしません。 なのでokirin3214さん行為は偽善ではありません。 ただしこれには前提があります。 okirin3214さんの行為が条件付で、つまり知ってる子だから・・・とか、ここで傘を貸さなかったら後味が悪いとか・・・「~ならば、・・・しなさい」という条件付きの自分の意思への命令(仮言命法)であった場合は良い行為とは言えません。条件に左右されてしまうからです。条件が全て無くなった場合、その行為を行わなくなるからなのです。 しかしokirin3214さんは、とっさに傘を差し出したというのは無条件の自分の意思への命令(定言命法)なのでカント倫理学でいえば良い行為なのです。 まあ、普通に考えても結果を気にしていては何も出来なくなるので、何とかしたいという気持ちが大事だと思いますよ。ヽ(=´▽`=)ノ

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偽善か、偽善じゃないかの分水嶺は『善意を行った人間が満足するか否か』にあると思っています。 偽善というのはつまるところ『善意を振りまくことで自分の心を満たしたいがために困っている人間を利用する』ことにあると考えます。 つまり誰かを救いたいという感情よりも自分が満足することを優先したとき、それは全て偽善となるのです。 すなわち相手がどれだけ利益を得ようとも自分が満足した時点でそれは偽善なのです。 真の善意とは自分が満足してはいけないのです。 対して質問者さんの場合においては、自己はまるで満足していない。満足することを目的としていない。 従って、これを偽善と定義することはできません。