日本はソ連やイギリスのように、木製の戦闘機や爆撃機の開発は行わなかったのでしょうか?日本は森林に恵まれているので、航空機の材料不足を解決する有力な手段になったと思うのですが。

日本はソ連やイギリスのように、木製の戦闘機や爆撃機の開発は行わなかったのでしょうか?日本は森林に恵まれているので、航空機の材料不足を解決する有力な手段になったと思うのですが。

日本史328閲覧

ベストアンサー

1

四式戦闘機の木製化(キ106)や九九式艦爆の木製化(明星)などは実際にやっていますが上手くいっていません。他にも一式陸攻の木製化案からスタートした陸上哨戒機大洋や、木製の大型輸送飛行艇蒼空など様々な木製機が計画されていましたし、既存の機体でも尾翼の一部などを木製部品に置き換えることは行われていました。零戦を木で作ったというのはデマですが。 ただ基本的に木製機は重量の増大や強度不足といった欠点を抱えており、ソ連のように航続距離など何かしらの性能を犠牲にしないと単発戦闘機として欧米機に立ち向かえる性能にはなりません。航続距離重視の太平洋ではソ連機のような設計は通用しないでしょう。おまけに高温多湿の戦場では木材の腐食や接着剤の劣化などの問題も発生します。イギリスのモスキートも東南アジアでは事故が多発して飛行停止になりました。戦前の日本が早々に木製機を捨てて金属製へ移行したのは気候の影響というのも大きいんですね。 そしてそもそも良質な木材は当時でも不足しており、木製機の大量生産は資源問題解決の有力手段というわけでもありませんでした。戦前の日本は伐採のし過ぎで森林の荒廃が深刻化していた歴史があり、戦後の積極的な植林と林業の衰退などで森林資源の回復した現在の日本とは大きく状況が異なっていたんです。日本は決して常に森林に恵まれている国などでは無いんですよ。

1人がナイス!しています

ちなみに第一次大戦から1930年代に掛けて作られていた旧式木製機と第二次大戦期の新世代木製機は使われている技術が別物なので、過去の蓄積がどうのという話でもないです。日本も旧式な木製機なら国産してましたし。

その他の回答(6件)

1

ikontaさんとgyozaisさんのご回答の通りですね。 1:単なる木製ではなく第二次大戦期の「木製航空機」は分子化学(つまり特殊な接着剤の製造技術)が発達した国でないと製作できない「強化合板」(ベニヤ板でsす)を、日本は技術が乏しく、満足な性能の合板が作製できなかった 2:日本の森林面積の割合は非常に多いですが、戦前の日本の森林は伐採で荒れており、「森林に恵まれている」とは言い難かった。現在の山林風景は戦後の植林で作られたという側面が大きいです。 3;ただし木製航空機が無かったわけではなく、また強化合板の技術が全くなかったわけでもないので、強化合板を使った木製の数百トン級の輸送船などを造り、それなりの成果をあげています。 しかし船舶ではなんとかなっても、日本の技術力では第一線で通用する木製航空機は製造できませんでした。 4:金属製の航空機を生産/研究するだけで精一杯なので、ノウハウのない木製にまで手が廻らなかったという側面もあります。 だから電球を作っていた新興企業にすぎない松下電器に木製航空機の製造を命じるなど、無茶苦茶なことになっています(それでも松下幸之助は数ヶ月で木製航空機を作っちゃったから、これまた恐ろしいのですが。そんな機体に乗りたいと思いますw?)

1人がナイス!しています

0

もともと飛行機は木製で丈夫な金属に変わったのですが戦争で資源が枯渇した日本は木製飛行機で補おうとしていたそうです。

0

あれ、木てゆうけど 「合板」なのよ 木と木を張り合わせるんだけど それには高性能の接着剤が必要なのよ 今じゃこの分野でも日本は世界のトップクラスだけどさ 当時の日本はそんなもん作れなかった

0

第一次世界大戦当時までは、世界の航空機の多くは木製の骨材に布張りと言うつくりでした。このころ航空機を生産していた国では、木材を合板として十分な強度を持たせる加工技術が発達しました。当時日本はもっぱら航空機は輸入に頼っており、自作することは無く、その後金属製の桁材などを使うようになってから、それらを自作したのです。したがって日本には航空機での使用に耐えるような強力で軽量の合板材を生産する技術が無かったわけです。 第二次大戦当時にも、ジュラルミンなどの十分な入手が困難だった国々では。獲得していた木材合板の技術を用いて、木製の桁を持った航空機を作り。強度、重さとも実用の域に達するものを作っていました。特にイギリスのモスキートやソ連のLa5は大活躍をしていますよね。 日本でも4式戦を木製化したキ106などが試作されましたが、やはり木材加工技術の不足から、機体が重すぎて使い物にならなかったようです。