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2015/8/18 1:52

33回答

私は人見知りなのでしょうか?

私は人見知りなのでしょうか? 私は自分でもわからなくなります。 基本的に人見知りというか社交的ではないと自覚しています。 ただ、たまに初対面の人とでも信じられないくらい話が合うことがあって、まるで旧知の仲のような感覚すら覚えます。 しかも年齢問わずです。 話があえば2〜3度合うだけでも冗談を言いあえたり、普通に2〜3時間ぶっ通しで話をしていられます。 しかも会話がなくなってシーンとなったりすることがなく、話す話題が湯水のごとく湧いてくるように。 とても自分に矛盾を感じます。 人見知りのはずなら初対面の人と和気藹々と話せるとは思えませんし。 私は本来なら小学校や中学校に仲が良かった人とでさえ1時間も話してられないような、シーンとなってしまうことが多々あります。 話をしない瞬間が嫌でむりくり話題を探して振ったりするほどです。 しかし、そんなことをする必要がないのです。 逆にシーンとしてもその無言の時間を味わうような、全然気まずくないような空気になってしまうような時さえあります。 私は一体なんなのでしょうか? 基本的に自分からガツガツいくタイプじゃありません。 しかし受け身というわけでもありません。 それこそ気があればむしろ私からガツガツいくタイプですし、聴き手にもなります。 ただし、人は選ぶ。 なぜ私はどんな人とでも社交的に振る舞えないのでしょうか? なぜ特別な人とだけしか上手く話せないのか。 私は実の兄とさえ上手く話せません。 兄嫁とさえです。 身内でさえ話せないのになぜ他人で一度も会ったことがない人とあんなに話せるのか自分でも不思議です。

ベストアンサー

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こんにちは。 人見知りの方には、 ・本当に人と話すのが苦手な方。 ・繊細で洞察力があり、たくさんの言葉の中から何を話そうかと考えていて、話すペースが遅いので、言葉が少なく人見知りに見える。 ・少し警戒心があり、警戒が溶けるまで人と話せない。等 「人見知り」の方にもタイプがあります。 ●「初対面の人と和気藹々と話せる」時は、 相手の方とフィーリングが合うのでしょう。 フィーリングが合った瞬間に、言葉も自然に出ていて、 きっとハートもオープン状態なのでしょう。 この時が「特別な人」なのでしょうね。 ●「話す話題が湯水のごとく湧いてくるように。」↓ 脳も感情も安定している状態です。 本来は、このような感じでコミュニケーションを取れると言う事です♪ 特別な時だけ話せるのではなく、 「フィーリングが合うか?」 「合わないか?」 を瞬時に判断して対応しているように思いますがどうですか? どんな人とでも社交的に振る舞う事を望むなら、 フィーリングを優先しないで、 会話を優先すればいいのですが・・・。 「社交的」より 「ハートで会話する」 今のように、フィーリングを大切にコミュニケーションを楽しむのも、 悪くないと思いますよ。。。 上手く話す必要もありません。。。 そう思っていれば、必要な言葉は、自然に出てきます♪ 年齢問わずこれからも、 コミュニケーションを楽しんで下さいね。

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回答した専門家

ThanksImg質問者からのお礼コメント

回答ありがとうございます! 勉強になりました。

お礼日時:2015/8/24 12:33

その他の回答(2件)

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こんにちは。「tyran」です。 「言葉に愛を」 「言葉に優しさを」 何より大切な事です!! 私自身、「人と会話をするとき、人が知っていることを話すのはおかしい」と昔は感じておりました。 「人」が知っているのだから… 「人」が知らないことを話そう。 そう感じておりました。 そのために「人」から「ネクラ」と言われたことも… しかし、「会話」というものは「知ってること」と「知らないこと」の両方をコミュニケーションするものだと後で気付きました。 みんなが知ってることを言っても会話しても良いのです!! この場合「情報の共有・情報の共感」になると思いますが… 相手が知ってることをわざわざ口にするのは「情報の確認」に値しますが、これはこれで意味があります。 また、お互いに知ってることを口にすることで「安心感」が得られます。おそらく「会話」の目的のほとんどは、この「安心感」でしょう。 「エレベーター」の中で他人と乗り込み、「シーン」とした雰囲気の時に誰もが「不安」を感じるのは… 「会話」が無いことにより「安心感」が得られないからです。 意外にも「エレベーター」に乗ってる相手が知らない他人であろうとも、「今日は暑いですね」などと話しかけられると安心できるものです。 「人見知り」とい言えば、人間はみんな人見知りなのです!! 「人見知り」だからこそ(不安だからこそ)「会話」して安心感を得ようとするわけです!! その「不安」を拭いきれない相手(会話をしてくれない相手)は「ネクラ」と思い込んでしまう。これも、人間の心理です。 とにかく「普通に会話してくれる相手」は「不安にならない人:疲れない相手」なのです!! 相手が「知ってること」を話すべきか「知らないこと」を話すべきか?相手が「聞いてくれる人」なのか「聞いてくれない人」なのか? いずれにせよ「会話:コミュニケーション」しなければ分かりません!!とりあえずは「会話」してみる。 それから「対応」を考える。 ある意味「会話」も「会話法・会話集」などがあって、これも「人生の修行」なのです。 「社交辞令:リップサービス」 「同年代の会話・目上の人への会話・会話のマナー」 会話と言ってもなかなか奥が深いです。 一つ考え方として… 会話というものを「相手への気遣い」の道具にしてみる方法もあるでしょう。「相手の幸福」のために会話するのです。 自分のために「話し」をするのではなく相手のために「話し」をする。自分のために「聞く」のではなく、相手のために話しを「聞く」。 「コミュニケーション」というものが、「不安」を取り除くためのものならば…「相手の不安」を取り除くための道具にすればよい。 ●相手の幸せのために話しをして、話しを聞いてあげれば良いのです。相手のために口を使い耳を使う。 自分のための会話は、ときには相手にとって迷惑になる場合もあるでしょう。(一方的に自分の思いを語るだけになってしまう) ◆誰かのために会話をする。 ◆誰かが幸福になるために会話をする。 こういう人は、人から信頼される人に成ります。 結局は、人を思いやるための道具が「会話」なのでしょう。 その、道具をどう使って行くのか? それも結局は自分次第です。 誰かの幸福のために「会話」した言葉は、いつか自分に返って来る。「言葉」はただの道具だけれど、結局、大切なのはその道具を使う「人間の心」なのだと思います。 「言葉に愛を」「言葉に優しさを」 私は何より大切だと思います。 ありがとうございました。