ここから本文です

哲学カテの賢人様達に質問です。 哲学者ニーチェの確言に 「怪物と戦う者は...

ks_********さん

2015/8/2105:15:24

哲学カテの賢人様達に質問です。

哲学者ニーチェの確言に

「怪物と戦う者は自らも怪物とならないように気をつけねばならない。

汝が深淵を覗き込むとき、
深淵もまた汝を覗き込んでい

るのだ」

というものがあります。

どなたか、この格言を
おバカな私めに分かりやすいように説明してくださいませ。

よろしくお願いします。(⌒∇⌒)ノ"

この質問は、活躍中のチエリアン・専門家に回答をリクエストしました。

閲覧数:
395
回答数:
10

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

yoc********さん

リクエストマッチ

2015/8/2110:01:15

哲学に「形而上学」という分野があるのですが、それは見る、聞くといった感覚(五感)や、それによって自分が持っていると記憶する経験、常識、先入観を疑い、言語を越えて思考しなければいけません。

ニーチェの格言?はその比喩です。

どんどん思考を掘り下げて形而上を考えていく事が「怪物と戦う」という行為、「深淵」は形而上です。

あまり深入りすると狂気へと堕ちるのです。

ニーチェ自身も発狂しました。
(若い時に買った売春婦からもらった梅毒によるものという説もあります)


ちなみに。
「哲学愛好者」が集まって話をしていると、形而上学について考える時、「深く潜る」と感じる派と「高く昇る」と感じる派がいます。

ヘーゲルの「弁証法」のアウフヘーベン(止揚)についても同じです。


・・・ニーチェは「深く潜る」派みたいですね。

質問した人からのコメント

2015/8/23 06:56:44

皆様回答ありがとうございます。BAは私が一番納得できた回答を選びました。

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/9件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

twe********さん

2015/8/2212:40:17

それ、ゆーてみただけの単なる気のきーた言葉で、なんの意味もない駄言だよん♪(*^^*)

got********さん

2015/8/2212:26:11

【「怪物と戦う者は自らも怪物とならないように気をつけねばならない。」】

→「要するに、ミイラ取りがミイラになる」、つまり、怪物とは、唯一まことの神が非となさる欲求行動と闘いながら、それに傾倒するわが身が、「わなに陥らないように」とする教訓を述べたいのでしょうね。」

【「 汝が深淵を覗き込むとき、
深淵もまた汝を覗き込んでい

るのだ」】

→「こちらの言葉から、私が先程述べさせていただきました上記のような意味を含んでいることがおよそ解明できますね。つまり、たとえば、婚外によるすべてのあらゆる非とされる淫行という性の欲望に、あまりとらわれすぎて、それにばかり固執すると、やがて、「その集中する思いから、罪にあずかる者となりかねない」ということの、警告のようなものなのでしょうね。ニーチェは、おそらく、強い性の欲求と闘っていたのでしょうね。

【「怪物と戦う者は自らも怪物とならないように気をつけねばならない。」】...

oki********さん

2015/8/2119:52:00

人間はアポロン的なものとディオニソス的なものとの二重性によって形作られている。己が感じる恐怖と陶酔に心せよ。ということです。

敵は外にいるのでなく己の中にいる。だから超人になれ。。ひとに従属することを恥じよ、そこから抜け出す意思を持て。


ニーチェのいう事はかっこいいけど全面賛成は出来ませんね。怪物とか深淵とかはエンドレスの戦いの象徴だと思います。そこから抜け出すほうが先決です。それには自制の念しかない。自分に見切りをつけることが肝腎です。

hon********さん

2015/8/2111:44:23

どんなに自分の心はきれいだという人でも、人の心の奥底には必ず醜い欲望や情念が蠢いているということだと思います。
普段我々はそれを抑えて平静に生活していますので、その醜い欲望や情念は奥底で蠢いているにとどまっていますが、何かのきっかけでそれがいつ表に出て暴れだすかもしれません。

怪物とは心の奥底で蠢く欲望や情念ですが、それは自分自身の心の中にあるものです。それを表の自分が抑えているわけです。抑えている限り人間でいられるのです。しかしそれを抑えることができなくなれば一気に形成は逆転して、欲望や情念が表に出てきてしまい人間は怪物と化してしまいます。

深淵を覗き込むとき深淵もまた汝を覗き込んでいるの「深淵」とは、やはり自分の心の中にある欲望や情念のある深みのことだと思います。
欲望や情念はいわば自分の本性です。本性ですからそれは表に出たがってうずうずしています。抑圧されて縛られているのはごめんなのです。だからいつも出口の穴の方を見ていて隙を伺っているのでしょう。当然その穴を覗き込めばそいつと目が合ってしまいます。

pet********さん

2015/8/2111:09:43

率直に回答したいと思う。
私はニーチェを知りません。
ただ、言いたいことはわかる。
怪物とは、良心の呵責、罪になる得るような欲望や執着を表す、要は比喩なんです。
「怪物と戦うものは自らも怪物とならないよう気を付けよ」は「墓穴を掘ってミイラ取りがミイラになるなとゆうこと。

「汝が深淵を覗き込むとき、深淵もまた汝自身を覗き込んでいる」とは、自分がある対象に対して何らかを見出しているとき、その見出したものの本当の正体とは、「その対象を投影した自分自身の正体である」とゆうこと。

「自分に関与する問題とは、全て自分に問題(原因)があるし、それゆえに現れた問題」とゆうことを要約した指摘であり、詩的な言葉なんな。
であるからして、自分の問題を、投影した対象の問題だと転嫁し、問題を拡大化するなとゆうのが、「 怪物と戦うものは、自分自身に潜在する怪物と戦うのだから、そんな潜在する怪物に自分が同化し、変化しないよう気を付けよ」とゆう訳です。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる