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宇多法皇は仏道にはまり出家しました。しかし、仁和寺の門跡になってから何をされ...

mhb********さん

2015/11/2716:48:41

宇多法皇は仏道にはまり出家しました。しかし、仁和寺の門跡になってから何をされていたのかが分かりませんでした。何をされていたのでしょうか?

宇多法皇(天皇)のファンという方や専門の方、詳しい方お願いします。

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chi********さん

2015/11/2800:28:04

修行と称して山歩き、それにあきると、法体のまま、女色に狂い、あろうことか、天皇にとつぐはずの美女を盗んで強引に愛人にしました。

かって、男をつくって後宮をおわれた妃の娘で、その兄弟を世話役にさせました。もと妃は息子と住んでいて、ほとんど同じ屋敷内、まことに不道徳!

三人の子どもをもうけ、すべて、息子の天皇の養子にさせました。

美女の名前が褒子というのも

中国の悪女褒似からとったのですかね。

たいしたことはしてませんが。

父親は藤原時平、位を譲った宇多院上皇が妃をとられた、くやしまぎれか、書状に

女事ありといへど、云々

と書いた男です。

子どもを産ませたあと、もと妃にあきて、捨てました。

どっちもどっち。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

rak********さん

2015/11/2717:16:53

専門でもないし詳しくもないので、回答にそぐわないかもしれませんが、

ニュアンスとしては、
天皇の座を退いたあとも、政治に関わっていると、後の者がやりにくいし
色々ややこしいので「出家」して門跡寺院に入る(建前として住職になってそこに居住する)のが京の常であったということです。
従って、寺院の体で、仏さまもおまつりしていますが、
実際は、いわゆる隠居家であって
通常の僧堂や寺院と異なり、華美な装飾や庭園、茶室などがあり
また、様々な調度品や宝物(仏教関係も含む)も、そこに集まってきたため
現在残っている門跡寺院も、その格式や規模を保っているといえるでしょう。

つまり、通常の「“元”天皇」は、余生を贅沢にのんびり過ごしたのでしょうけれど
宇多法皇については、かなり仏教に傾倒されて、東寺で灌頂の儀式を受けたり、京都における真言宗の立場を上げるための後ろ盾をした、とか
それによって、政治を裏から操ったとか、
詳しくは検索で色々ご覧ください。

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