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沖縄返還当時の様子について 沖縄返還(おきなわへんかん)は、1972年(昭和47...

lea********さん

2016/1/1005:12:45

沖縄返還当時の様子について

沖縄返還(おきなわへんかん)は、1972年(昭和47年)5月15日に、沖縄(琉球諸島及び大東諸島)の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還されたことを指す。

とウィキペディアで記されていますが当時の5月15日に日本に返還されるのに前もって沖縄県内で生活する人達に5月15日に返還されるよとの知らせは伝えられていましたか?それとも5月15日にいきなり広くに知れ渡らせたのでしょうか?

仮に前もって伝えていたとして、そっちの方だったとしたら何日前から伝わっていたのでしょうか?

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tor********さん

2016/1/1006:06:51

当時の琉球政府行政主席の屋良朝苗は日本政府の要人(官房副長官等々)
との会談で日本に来日されておりましたし、アメリカのランパート
高等弁務官(琉球統治の責任者)との会談も日々行われ、苦渋に満ちた
顔つきで日々を過ごされていたと記憶しております。ですから沖縄県民は
返還日時を良く理解されておりました。県民の希望でもあり悲願で
もあった訳ですから広く知られていたのが自然であります。

1969年の佐藤・ニクソンのサンタバーバラでの首脳会談で返還自体が
決まり、その後の交渉(沖縄返還協定調印・1971年6月17日)で
日時が決まりました。返還日は即日決定後即日報道されましたのでその
時点で伝わったでしょう。

沖縄ではドルと円との交換、道路標識の交換等が話題となり日本でも報道
されていたのを記憶しております。

  • 質問者

    lea********さん

    2016/1/1008:02:10

    ありがとうございます。本州の方なんですね。

    当時のことを詳しく書いて頂いてそうゆう特徴だったんだなと知ることが出来ました。

    私は沖縄県内で生活している者ですが、中国が沖縄を支配するという話を聞いたり、その内容が書かれてある本が結構書店でみかけるので、また年始にNHKでアメリカが世界の警察を辞めるという内容が放映されていたので、

    それと那覇市若狭の海岸近くに中国の属国を意味する龍の柱が立っているので、この柱の意味が属国を意味ことは昨日知りました。

    それなので中国が支配に向けての行動を取ってくるのなら前もって行政機関間でのやりとりから国民に公表するのか、どうやって進行していくのか?を考えるために、過去の例ではどうだったのだろうと知りたくて投稿しました。

    心配なのが服従させ易いように、殺人を起こすことで意思表示してはこないのか?というところです。

    なので時期を知れば沖縄から離れることも出来ますので。

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aa0********さん

2016/1/1005:34:32

返還の前年、1971年6月17日に沖縄返還協定が結ばれたので一年前ほどから沖縄が本土へ帰る事が知られるようになったわけですが、
1969年の段階で琉球諸島と大東諸島の日本への早期復帰についての会談が行われているので3年前くらいから予測されていたと思われます。

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tor********さん

編集あり2016/1/1005:28:56

もちろん知っていました。
クルマの通行も…アメリカの右側通行から日本の左側通行に変わりましたからね…。
当然以前から知っていました。テレビもラジオもは日本の放送でしょうからね…。

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