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もし武田信玄が病死していなくて、あと10年長く生きていたとしたら、織田信長との...

wis********さん

2016/1/1711:19:58

もし武田信玄が病死していなくて、あと10年長く生きていたとしたら、織田信長との戦いではどちらが勝利したと思われますか。理由も合わせて教えてください。

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oia********さん

2016/1/1712:22:23

個人的には信長が勝った可能性の方が高いと思います。

当時信長の勢力は、武田家単独よりは明らかに大きく、武田家が単独で織田に勝つのは極めて難しかったと言えます。
ですから、信玄は、朝倉義景・浅井長政・本願寺一向衆・足利義昭・松永久秀・三好三人衆などのいわゆる信長包囲網に参加する形で信長と対立したわけです。
武田を含める包囲網全体の勢力をみれば、それは明らかに織田家を大きく上回り、包囲網に参加する者たちが一致協力して織田と戦えば、織田に勝つことは出来たでしょう。
この場合、包囲網中最大勢力は武田ですので、武田の勝利とみてよいと思います。

例えば、反織田勢力のほとんどが一斉に兵をあげ織田領に攻め込んだ場合、或いは信長が反織田勢力中最大である武田と戦っている内に、武田以外の勢力が信長の背後をついた場合、或いは逆に信長が武田以外と戦っている内に武田が信長の背後をついた場合、いずれも反織田方の勝利となったでしょう。

しかし、逆に言えば、反織田勢力の足並みがそろわなかった場合や、武田や武田以外の勢力が信長の背後をつかなければ、反織田勢力は各個撃破され織田が勝ったと思われます。

では、どちらの可能性の方が高いかというと、私は反織田の足並みがそろわない可能性の方が高いと思います。
なぜなら、反織田勢力の内、足利義昭にとって三好三人衆と松永久秀は兄の仇であり、自分自身も命を狙われた事がある間柄です。松永と三好三人衆も畿内の覇権をかけて熾烈な戦をしていました。また、朝倉家と一向一揆も長年の宿敵同士です。
つまり、反織田という形で一応一致していても、実際には内部で鋭い対立関係があった訳です。このような間柄の者たちが一致協力して行動する事は極めて難しかったと言えます。
仮に信長に勝っても、その後の事を考えれば被害を最小限に抑える必要があり、出来れば他の勢力よりも後から信長と戦いはじめ、漁夫の利を得たいと考えてしまうのが当然だからです。
実際に、朝倉義景は信玄が動いた後、自分は兵を退いてしまっています。これにはやむを得ない事情もあったと思いますが、包囲網全体の事よりも、朝倉家の都合を優先してしまっている事に違いはありません。
このような足並みの乱れを見逃すほど織田信長も甘い人間だとは思えません。
よって、結局武田を含む反織田勢力は敗れ、織田が勝つ可能性の方が最終的に高いのではないかと思います。

なお、以上の考察には、信玄が武田家の勢力のみで信長と戦い、戦術的にこれに勝つ可能性は配慮していません。
信玄はその生涯において、常に有利な状況で戦う事を心がけており、実際に少数の兵力で多数の敵と戦い、これを戦術的に破った経験はありません。逆に少数の敵に敗れた経験はありますが。
そのような信玄が、単独で信長と戦うなどという事をするとは考えられませんし、仮にそのような事をしても、少数で多数を戦術的に破った経験がない信玄が勝利できる見込みはほとんどないからです。

戦術的な優劣を考えた場合、少数の兵で多数の敵を破った実績がある信長の方が、むしろ優れていた可能性すら考えられると思われます。

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

2016/1/1711:26:16

秀吉が言うには 信長

理由は、逃げまくって負けないようにするから

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