日本では明治時代まで太陰太陽暦を使っていましたが、なぜ、太陽暦に変わったのでしょうか?

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お礼日時:2016/1/28 22:56

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既にかいてありますが。 うるう月の年に、変えてしまえば、公務員の給料が1カ月分はらわなくてすむって気がついたからです。w

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他の方の回答で全く正しいのですが、もっと切実なのは太陰暦では年に13か月あることが時々あります。しかし太陽暦には12か月しかありません。 当時の太政官には予算がなかったので、月給を12回払えば済む太陽暦に替えるしか方法がなかったのです。 世の中はすべてカネで回っているのですね。

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改暦が行われたのは明治6年ですが、太陰太陽暦では閏年で13か月あるはずでした。しかし財政難の明治政府は太陽暦を採用し、月給1か月分が節約できました。 http://www.ganshodo.co.jp/mag/moon/files/m_c101.html WIKIで太陽太陰暦を検索すれば、世界各国の暦法の解説があります。太陽暦を別のものに代えるメリットは、いまのところ思い当たりません。かなり先のことになりますが、地球の自転が遅くなる時には、暦も変わるでしょうね。

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国民に最も大きな影響を与えたのは明治政府が太陽暦を採用した事です。それまでは、月の満ち欠けをもとにした太陰暦が使われていました。太陰暦は旧暦とも言われ、現在でもわたしたちの生活に残っているものがあります。八十八夜とか二百十日などがそれです。しかし太陰暦には不便な事があり、実際の季節と暦の月日が合わなくなってくる事です。その狂いを修正するために、たびたび閏月が置かれました。そのために1年が13ヶ月になるのです。例えば明治元年(1868)には四月が2度、明治三年には10月が2度ありました。すでにヨーロッパやアメリカなどでは太陽暦を使っているのに、日本が違った暦を使っているのでは外国との付き合いが盛んになった明治の世では、たいへん不便でした。そこで政府は明治五年十二月二日限りで太陰暦を停止し、翌日を明治六年一月一日としました。わたしたちが現在使っている暦は、この時に定められました。 旧暦には貞観三年(861)に導入された中国の宣明暦がありましたが、年がたつにつれてだんだん遅れが出るようになり、800年余りたった江戸時代初期には、その遅れが2日にも及び、日月蝕の測定にも狂いが生じるようになったので暦の改訂の必要性に迫られ、明の大統暦を用いようとしましたが、結局、貞享元年(1684)幕府は暦数家・安井算哲を登用して天文方として、算哲が考案した暦を採用して823年ぶりに、日本の暦を改訂しました。これが「貞享暦」と呼ばれる暦です。 薩摩国鹿児島藩主・島津重豪は安永八年(1779)明時館を設け「薩摩暦」を発行しました。明時館は天文館とも言い、鹿児島市の繁華街「天文館通り」がその名を残しています。