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歴史のドキュメンタリー番組を観ると、徳川吉宗は美人の側室を解雇して、不細工の...

ea_********さん

2016/5/2120:33:22

歴史のドキュメンタリー番組を観ると、徳川吉宗は美人の側室を解雇して、不細工の側室をそのままにしたと言われてますが、それは単なる脚色ですよね?

実際は天英院派だけを解雇しただけですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

ros********さん

2016/5/2205:54:58

ブス専なのか、本当に美人であれば引く手数多なので解雇したのか、どちらともとられますが、徳川吉宗は紀州藩主時代に街を取り締まる役に放蕩三昧の家臣を任命したそうです。理由は取り締まる側になれば本人の放蕩三昧も止めざるを得ないからだそうです。
徳川吉宗はこういった人の機知を知って人事や政策を差配していた様なので、やはりブス専以前に大奥の人件費削減、それも恨みを買いづらくする為に引く手数多であろ美人を優先したのではないでしょうか。

質問した人からのコメント

2016/5/25 09:23:33

参考になりました。

回答ありがとうございました。

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kur********さん

編集あり2016/5/2122:04:12

江戸城に乗り込んだ吉宗はさっそく大奥にいる女性の中から「みめ貌(すがた)うるわしき者」を選んで書き出すようにと命じました。それを聞いて、もしかすると自分も将軍の側室になれるかも知れないと、喜び心構えをする者も、ひとりやふたりではなかったそうです。ともかく大騒ぎをして美人50名をリストアップして提出すると、吉宗はパラパラとそれをめくり、「よし、この者たちは暇を取らせるから、家に帰って自由に嫁ぐように」と彼女たちを、即刻クビにしてしまいました。驚きあきれる人々に吉宗は「皆が推薦するほどの美人であれば、自由に嫁に行けようが、それに洩れた醜女たちはもらい手がなくて生活にも困るだろうから、今後もずっと大奥で召し使ってやろう」と言ったそうです。大奥に仕えるほどの女性たちですから、醜くて嫁に行けないなどと言う女性もいなかったはずですから、この話は脚色過ぎる気がしますが、案外、吉宗の女性観をよく表しているような気がします。

余談ですが、その時の美人組に属していたのか、醜女組だったのか、わかりませんが、奥女中のなかに吉宗がたいへん気に入った女性がいました。吉宗は側近の者に命じて是非にと交渉させましたが、「親が決めた男性がいるから」と断られてしまいました。ふつうなら、すごく立腹するところですが、吉宗は少しも怒らず、希望通り暇を与え、お祝いに300両を下賜したと「有徳院殿御実記」付録では吉宗を誉め称えています。

ben********さん

2016/5/2120:49:07

元々、ブサ好きらしいですよ。
美人なら嫁のもらい手もあるだろう・・・を含みます。
あとは、費用がかさみすぎた大奥でのリストラです。

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