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史上最強の剣客1位から15位までわかりますか?

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ID非公開さん

2016/7/521:22:52

史上最強の剣客1位から15位までわかりますか?

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chi********さん

2016/7/601:20:06

1位 寺田宗有

2位 白井亨

3位 高柳又四郎

4位 伊藤一刀斎・浅利義明

5位 男谷信友・大石種次・千葉周作・鐘巻自斎

6位 上泉伊勢守信綱・小野次郎左衛門忠明・柳生石舟斎

7位 斎藤弥九郎・海保帆平・千葉栄次郎・井上伝兵衛

8位 島田虎之助・仏生寺弥
助虎正

9位 桃井春蔵・中村半次郎・森要蔵・庄司弁吉

10位 河上彦斎・桂小五郎

11位 柳生宗矩

12位 柳生兵庫助・佐々木小次郎

13位 佐々木只三郎

14位 芹沢鴨・宮本武蔵

15位 斉藤一

まず斉藤一は新撰組の中でも最強と呼ばれ、永倉新八が無敵の剣と言ったほど。斉藤一は関口流柔術の使い手で素手の状態でも不逞浪士を難なく倒せたといいます。

次に芹沢鴨は壬生浪士組の筆頭局長で暗殺されたのですがこの時、芹沢は酒を大量に飲まされて彼女の梅と寝ていた所を新撰組の土方、沖田、山南、原田の四人に襲われたが一時交戦できたと言われています、まず新撰組の幹部四人で襲いに行った時点で芹沢の実力が伺えます。

次に宮本武蔵です彼はよく最強の剣豪と言われますが実力はさほど高くないと思いますまず吉岡一門を倒したのは凄いことですしかし佐々木小次郎との一戦では当時宮本武蔵が二十代で佐々木小次郎が60から70代だったと言う話がありますこの時点で若者と高齢者の戦いです、この時小次郎は巌流虎切りを使いましたこの虎切りはそこまで力は必要なく使えます、燕返しは体力を使う乱切りです。この時小次郎が燕返しを使えば武蔵に勝ったかもしれません。
なぜ芹沢と武蔵を同率にしたかと言うと武蔵は戦国時代です、この時代は剣術がまだ完成されていないためこの時代は己の身体能力が物を言います、芹沢がいた幕末は剣術がほぼ完成されており技術力は戦国のひではなかったからと言う事で同率にしました。

次に佐々木只三郎ですがこの只三郎は小太刀日本一と言われた腕前で芹沢を倒せると言われたほどでした。

次に柳生兵庫助は石舟斎に似た強さを持っていたと言われますが石舟斎ほどの実力はないと思いこの12位に置きました。佐々木小次郎ですが小次郎は鐘巻自斎の弟子と言う話がありもし本当ならば相当な腕前だったでしょう。

次に柳生宗矩ですがこの宗矩は剣術無双など数々の異名を取った剣客です何より柳生の名を知らしめたのもこの宗矩の働きがあったのかもしれません。

次に桂小五郎・河上彦斎ですまず桂小五郎は幕末江戸三大道場の一角練兵館に入りたったの一年で塾頭になった実力の持ち主で桂が剣を構えるとたちまちその気迫で周りが緊迫するほどだった。河上彦斎は言わずと知れた人切りで漫画るろうに剣心の緋村剣心のモデルで有名、河上彦斎は我流でその身のこなしは素早く【逆袈裟切り上げ】と言う得意技を持っていました。その実力と危険性は桂小五郎が河上彦斎が居るうちは枕を高くして眠れないと言ったほど。彦斎は色白で背が小さく女のようでとても丁寧な口調だったと言われています。

次に森要蔵、庄司弁吉は玄武館四天王で玄武館は幕末江戸三大道場の中でも一番の実力があったとされるためこの位置に置きました、桃井春蔵は千葉栄次郎に負け越しているのでこの位置、中村半次郎は四大人切りの中では圧倒的に強いです、半次郎は歩きながら止まらずに人を切る事ができ屋根から落ちた雨粒を三回鞘に納め抜刀また棒のような物を投げて空中で八回切ったなどの話があります。

次に島田虎之助と仏生寺弥助虎正です、島田虎之助は天保三剣豪と言われた剣客なのでこの位置、仏生寺弥助虎正は練兵館最後の塾頭と言われていますが塾頭になっていないという話もあります、仏生寺は練兵館歴代最強の塾頭で左【上段面打ち】という技がありこれを使う時は「左上段面を打ちます」と前もって言ってから打つが誰も反応できずに当たっていた、当たった時は体がぐらつくほどの衝撃だったそうです。

次に斎藤弥九郎、千葉栄次郎、海保帆平、井上伝兵衛ですが千葉栄次郎も井上伝兵衛も島田虎之助を倒しているのでこの位置、海保帆平は玄武館四天王で最強という話を聞いたのでこの位置、斎藤弥九郎も悩みましたがこの位置ぐらいだと思います。

次に上泉伊勢守信綱、柳生石舟斎、小野次郎左衛門忠明ですが資料があまり良くなかったので分かりませんが、上泉と石舟斎は共に剣聖と呼ばれているのでこの位置。石舟斎は一度、武蔵と戦ったという話があり、それによると武蔵が石舟斎の殺気に負けて逃げたど言う話がありますがこの時武蔵はまだ成長途中だったそうです。

次に男谷、大石、千葉、鐘巻の四人です、まず鐘巻自斎は伊藤一刀斎の師とされており実力も折り紙つきだったそうなのでこの位置、大石と男谷は試合をしておりそれによると、大石が中段から下段に変化する突きをしたところ男谷がいくら避けようとしても当たったと言われていますが私はまともに当たっていないと思いますなぜなら大石種次の身長212センチから放たれる突きは天下無双と言われますこの突きは剣道防具の面金を突き破って重症を負わせたという事があるほどの突きですもしこれに当たったらひとたまりも無いでしょう恐らく男谷は受け流していると思います私的には男谷の方が大石よりやや実力が上だと思います。大石と千葉周作はかろうじて周作が引き分けたらしいです。

次に伊藤一刀斎と浅利義明です、まず浅利義明は剣道の神様、一刀斎は剣の神様と呼ばれ一刀斎は柳生石舟斎に完勝するほどの実力差があり浅利義明も入神の剣技と呼ばれ人間技とは思えない技術力だったと言います。剣の神様と剣道の神様とでは剣の神様が強そうですが天保の頃は剣の技術が戦国より上なのでこの二人は同じ位置にしました。

3位は中西道場三羽烏の一人高柳又四郎です。彼は音無の剣と呼ばれる難剣の使い手で天保三剣豪の大石を物扱いにして勝った実力を持っていたそうですこの時、又四郎は「器械相手に正規の竹刀を使う事もないだろう」と冷笑していたと言われておりこの時又四郎は天下無双と言われた大石の突きを切り返して左胴が決まった、この時又四郎の竹刀が音をたてたと言われます。

2位も中西道場三羽烏の一人白井亨です白井は神通力と呼ばれたほどの実力があり高柳と試合をした時は高柳の弱さに落胆するほどの実力差があった白井は大石と試合をした所、小手と面の両方を取って完勝したこの時、白井は49歳で体力的に落ちてもなおこの速さが出せるほどの実力があったこの試合で大石は160センチの長竹刀、白井は60センチ以下の竹刀を使ったという。

最後に寺田宗有ですこの寺田は白井亨を気迫で押さえ込む実力差で一線を画す。
寺田宗有の資料には寺田と剣を合わせた者はおらず全員気迫で押さえ込まれている、白井亨は15歳の時に中西道場に入ったこの頃、中西道場には、寺田宗有、高柳又四郎、浅利義明、千葉周作などがおり、その中で白井も腕を磨いた。23になった白井は武者修行のため江戸から旅に出るそれから6年たち28歳になった白井は江戸に戻る、そしてかつての同門たちを尋ねて回るが剣の衰えように落胆した、そして寺田と試合をするが全く相手にならず気迫に負けた。また竹光で大きな石を真っ二つねに割ったという。何より寺田の強さは凄まじく、白井によれば、寺田は剣と座禅の他に、毎日200~300の水浴びや数日間の断食を死ぬまで続け81歳まで生きた。

綿谷雪は寺田と白井について、「組太刀で天下無敵と言われた人物は、この両人以後、出現しなかった」

千葉周作は、寺田と白井について「寺田氏は自分の構えたる木刀の先より火炎燃え出づると云ひ、白井氏は我が木刀の先より輪が出づると云ひ、何れも劣らぬ名人なり」

山田次朗吉は寺田と白井について「実に二百年来の名人として推賛の辞を惜しまぬ」と高い評価を受けるほどの実力があった。

また、寺田の強さの一つは平常無敵流で鍛えた心法で相手の心を読み取る事ができ、相手の次の行動が分かるため不意をつかれることはない。

さらに剣先からは火を吹かんばかりの鋭い気迫が迫り相手は満身汗だくになり引き下がる。

寺田は12年の年月を経て、奥義の谷神伝を習得した、いかなる技かは不明だが剣術界で最強位の技であることは確か。

と言う事で1位から15位でした、とても長くなりましたが見てくれてありがとう!

さらに詳しい事はWikipediaに乗ってます。

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