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日本史についての質問です。

yur********さん

2016/8/1817:29:31

日本史についての質問です。

参考書に、
2代執権・北条義時のときに将軍実朝が公暁に暗殺され、これをきっかけに朝廷との関係が不安定になった。
と書いてあるのですが、実朝暗殺と朝廷はどのように関わっているのですか?

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kyu********さん

2016/8/1820:21:21

実朝は一流の歌人でもあったので、京の公家や皇族とも親しく、後鳥羽とも個人的な信頼関係を築くまで親しい関係でした。
子供がいなかった実朝は、後継者として皇族を養子にする意向があり、後鳥羽もまんざらではない態度でした。
が、実朝の暗殺により、後鳥羽は幕府への不信感を募らせます。親しく信頼していた実朝が殺されたことやその事件の裏に御家人同士の権力闘争がある事が露見し、そんな不安定な鎌倉に自分の子をやる事に疑問を持ち、宮将軍の話はチャラになりました。
将軍自身が朝廷とのパイプ役で、それが無くなったのですから、ギクシャクするのは当然です。

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2016/8/2218:08:45

簡単に説明すれば"朝廷の陰謀"に答えがある。

鎌倉幕府3代目まで源氏がトップにたっており
そのトップを補佐する執権が北条氏がつとめていた。

しかし三代目 源実朝が暗殺されてしまい四代目は誰がつとめるかの話になった。
だが、源実朝には子がおらず、
今度は"源氏の次にどの一族が鎌倉将軍をつとめるか"の話になった。

そこで選ばれたのは北条氏ではなく、
なんと京の有力貴族、藤原氏であった。

何故こうなったのか。答えは貴族 天皇が鎌倉幕府を乗っ取るためであった。

しかし、藤原氏が鎌倉将軍がトップにたっても、
"鎌倉幕府の政治の仕組みがわからず"、実権を握れず
実権を握っていたのは執権の北条氏である。

そのため三代目以降の鎌倉幕府は将軍の代わりに執権が政治をするといすごい状態
簡単に説明するなら平安中期の藤原氏と思えばよい。

しかしこれを快く思わなかったのが、
鎌倉幕府を乗っ取ろうとした朝廷である。

そのため、朝廷が無理やり乗っ取ろう反乱を起こした。

これが今で言う承久の乱である。

gla********さん

2016/8/1817:54:36

源実朝が将軍に就いた時、北条氏の後ろ盾があり、若い頃は北条家の言いなりのような形になっていました
しかし段々と実朝は朝廷寄りの姿勢になっていきます
後鳥羽上皇らと和歌を通じて親密になっていき、少しずつ北条家から離れていく訳です
そして、朝廷から右大臣に叙任され、その御礼参りの時に彼は暗殺されてしまう訳ですな
暗殺者であった公暁は二代将軍、源頼家の子。つまり実朝にとっては甥にあたります
公暁は暗殺の時、「親の仇はこう討つものだ!」と叫んだと言われており、つまり二代将軍を暗殺したのは実朝である、と彼は信じて凶行を行った訳ですね

この事件によって源家は断絶し、次の将軍として摂関家から藤原頼経が将軍に就きましたが、まだ幼かったので、北条政子が養育者として後ろにつきます
これが有名な「尼将軍」というヤツで、つまり北条家が実質的なトップとなる訳です

そしてこの後、朝廷と幕府は承久の乱によって直接的な争いを起こし、敗れた朝廷の後鳥羽上皇は隠岐に流される事になります
つまり、源頼朝というトップの指導者がいなくなった後、幼い実朝を傀儡にしようとした北条家と、籠絡しようとした朝廷の権力闘争ですね
そして朝廷になびいた実朝を暗殺し、さらにその罪を公暁という源家の人間に被せる事で源家を追い落とし、自らが幕府の主導となっていく訳です

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