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純文学とは人間の暗く重い内面を描いてこそなのでしょうか。 底抜けに明るい純文...

ifasfiasさん

2016/9/2119:54:51

純文学とは人間の暗く重い内面を描いてこそなのでしょうか。
底抜けに明るい純文学作品や作家がいたら教えて下さい。

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2016/9/2120:51:26

私には「純文学」の定義はよく分かりませんが、「底抜けに明るい」題材でもって人間(世界)の深み、奥行きをリアルに描き出した作家の典型例は?となると、真っ先に谷崎純一郎が思い浮かんできます。

晩年に口述筆記で生み出された『瘋癲老人日記』(ドMのエロ爺と夫婦仲の冷え切った息子の嫁が家族の留守中にエッチな遊びに興じるというバカバカしいお話)は、昭和の全小説中の最高傑作だと思いますよ。

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2016/9/2219:48:14

それ、純文学じゃなく私小説の話じゃねーのか?

shivugakiさん

2016/9/2217:50:40

小谷野敦という文芸評論家は先日ツイッターでこのように述べていました。

「コンビニ人間」に深みがないとか言ってるやつは文則病で、罪とか悪とかが描かれるのが文学だと勘違いしてるんじゃないか。

文則というのは人間の暗く重い内面を描いて文壇で評価されている中村文則のことです。
「コンビニ人間」はやはりそういう部分がほとんどありません。
あと、他の回答者さんも言ってますが武者小路実篤は本当におすすめです。

2016/9/2122:16:46

純文学とは人間のありのままの姿と、さてどうすれば良き人間的な社会を構築すれば良いのかを、登場人物の設定などを通じて読者に訴える作品だと思います。
ですので「暗く重い内面」だけに集中するだけでなく、「人間の崇高な面」をも合わせて描いた作品こそが純文学として名作だと思います。

質問者さんのおっしゃる「底抜けに明るい」という人間の一面は、大衆文学で多く見れれますが、純文学では少数派です。大衆小説で扱われ過ぎている「明るい人間の面」は、純文学では敬遠されがちではないかと思います。

ご質問文にある「底抜けに明るい純文学」としては、武者小路実篤をお勧めします。
石の絵しか描かない『馬鹿一』
知らずと人が集まって来る『真理先生』
他にも明るくて、強者の文学と言われている中短編が多いです。
近年は彼の読者が減ってきているそうですが、その作品の価値が下がったわけではありません。「人生肯定」に裏打ちされた武者小路ならではの「底抜けな明るさ」を見事に結実された作品が多いです。

2016/9/2120:11:31

純文学とは芸術的な価値がある作品、又、思想性がある作品とも言えるでしょう。 吉行淳之介などは底抜けにユーモアに溢れた作品を書いていますが、高い芸術性が有ります。

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