ここから本文です

満州事変の謀略を東郷平八郎元帥はどう見ていたのですか?確か東郷平八郎元帥は満...

dai********さん

2016/10/816:24:27

満州事変の謀略を東郷平八郎元帥はどう見ていたのですか?確か東郷平八郎元帥は満州事変の頃までぎりぎり存命していたと思うんですけど、 元帥はこの謀略を肯定的又は否定的、どちらの見解を抱いていたのですか?

閲覧数:
244
回答数:
2
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

yuu********さん

2016/10/1008:41:22

現在日本で多くの人が誤解されているのですが、満州事変は当時謀略とは知られていなかった点について理解が必要です。

真相は確かに石原・板垣が首謀し、これに陸軍中央の永田、小磯なども関与していた謀略劇であり、当時も事前事後に確かにそうした噂が存在していましたが、あくまで噂でしかありませんでした。
満州事変が日本の謀略=日本の自演であると明らかになったのは戦後になって当時の関東軍参謀で少佐にして、石原の身近にいて陰謀の動向をつぶさに見ていた花谷正が白状してからです。そして、それを謀略だと知っていたのは謀議に関わっていた陸軍の少数の人間だけでした。
ですから、当然ながら部外者の人間はこのような真相は知らず海軍も例外ではありませんでした。
謀議に関わっていない当時の人間にとって満州事変とは、「かてねより不穏な情勢下にあった満州において管轄下の鉄道で謎の爆破事件が起こり、これをきっかけに軍事行動を開始した」ものだったのです。
ですので当然ながら、部外者の東郷は新聞報道や陸軍の組織発表以上のことを知らされておらず、
>満州事変の謀略を東郷平八郎元帥はどう見ていたのですか?
という点にのみ限って言えば
東郷は謀略など知らなかった、になります。
ですから、謀略について肯定も否定もできなかったししませんでした。

そして、この時期の日中問題について忘れてはならない今日的な大きな誤解となっている点が、日本は”常に”侵略的意図を持っていた、あるいはそれにつながる軍事手段は悪である、という愚かは固定観念です。
日中戦争は日本が起こした、北支事変は日本の侵略戦争だ、他国で軍隊が戦ったら即ち派遣した側の侵略だ、などなどですが満州事変についても同様の固定観念が少なからずあります。
当時の日本は中国での同朋へのテロ行為が常に悩みとなっていました。
日本外交を主導した幣原は無能な男でしたが、対中問題については媚態で臨む「話せばわかる。日本(人)は被害を受けても目をつぶれ、大人になれ」という今日的な9条論者的姿勢でした。
当然世論の不満は高まり、それどころか枢密院さえも批判的だったのに幣原はこれには高踏な対応をし首相の若槻は外交に関してそんな幣原に依存する始末でした。この最中に、南陸相が石原達の謀議を知らぬまま満州情勢に関して軍事オプションについて言及したら世論が好意的な反応をしたのが当時の情勢です。
そして、もう一つ無視できないのは、石原の主目的だったあくまで”大規模になっていった”軍事行動と満州国建国が問題視されたのであって、欧米各国は満州事変における(当初の)軍事力行使については、決して批判的ではなかった点です。
当事者から笑われるような俺様説を唱える歴史学者やその信奉者の通説と異なり、軍事力行使には確かな概念の差があることを当時の政治、外交を担う人間は当たり前に分かっていました。
さて、謀略を知る由もない東郷元帥ですが、一方で満州事変を巡る逸話で当時の海軍軍令トップである軍令部長の谷口が対米関係を恐れて協力をしなかったことを激怒した、という逸話があります。
これは老害の逸話とされていますが、これ自体も典型的な固定観念に基づく誤りです。
まず一つとして「緊急出動した友軍が戦っている」ならばそれを支援するのは当たり前なのです。
これ自体は想像しやすいと思います。
そして、もう一つ重要なことはこうした問題での対米関係を考慮するのは外交官の仕事であって、「海軍として」、「独自」に判断することではないのです。東郷元帥は「協力できる状況にありながら対米関係という直接関係ない事情を持ち出してその顔色を窺って戦う友軍を放置する」という軍人としてあるまじき行動を激怒したに過ぎません。

質問した人からのコメント

2016/10/10 09:57:36

詳しい回答ありがとうございました。解説は大変参考になり、勉強になりました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

zez********さん

2016/10/819:04:15

陸軍が何をしたかについては何の興味もなかった様子ですが、当時の海軍軍令部総長・谷口尚真が「対米全面戦争に繋がりかねない。(現在の海軍予算の6倍の)35億円は出してもらわなければならなくなる」と海軍の加担を拒んだことに対して激怒し怒鳴り込んだという話が残っています。
谷口は軍令部門の「条約派」の大立者でロンドン海軍軍縮条約をまとめるのにも多大な貢献を果たしましたが、「艦隊派」の加藤寛治・末次信正らにいいように操られていた晩年の東郷は谷口を「弱腰」と嫌っており、この件でも谷口を面罵しました。

要するに東郷は「抑止力」の観念や米国との国力差を理解できない文字通りの「老害」に成り果てていたんです。もっとも若い頃の東郷はむしろこういう軽佻浮薄なキャラで、ある意味では本来の姿に戻ったとも言えるのですが。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる