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バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻はどういう目的・意図で作られたんでしょうか...

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ID非公開さん

2016/10/2815:00:05

バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻はどういう目的・意図で作られたんでしょうか。

第1巻のように教育用というわけではなさそうですし、
第2巻はいろんな時代の彼の作品の寄せ集めで、無理に移調して24調揃えられたんですよね?
誰かの依頼でもないみたいですし・・・

第2巻が完成された頃バッハはライプツィッヒに移っているので、第1巻の頃とはあらゆる状況が変わっていると思います。

インヴェンションとシンフォニアや、ブランデンブルク協奏曲などと同時期に第1巻が作られたのは分かるのですが、
なぜ20年以上経った頃に第2巻が完成されたのか気になってしまいました。
バッハの曲集に「第2巻」と付くシリーズ(?)ものも珍しいと思いまして。

個人の予想で構いませんので、
そうお考えになる理由も併せて教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

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ora********さん

2016/10/2823:24:03

こちらのサイトに少し説明されているが、
http://www.piano.or.jp/enc/pieces/822/
自分はバッハについてあまり詳しくないので、想像で述べることになる。
1730年代はじめころから、バッハは自分の弟子たちの勉強用にか、鍵盤曲をまとめて出版したりしている。クラフィーア練習曲集と題されたそれらは、1731年の「6つのパルティータBWV825-830」の第1部から、1742年の「ゴールドベルク変奏曲BWV988」の第4部がそれにあたる。
「平均律クラフィーア曲集第2巻BWV870-893」は、ずっと以前に書かれた作品などもまとめられているそうで、出版はされなかったが弟子の何人かがそれの写譜を有していたという(最初の出版は1801年)。バッハはいずれそれを出版するつもりでいたのかもしれない。
ライプツィッヒ時代の初めには、トマス・カントルの職責として教会カンタータを多数書いていたが、この頃になるとカンタータの作曲は激減しているそうである。理由としては、トマス学校長のエルネスティとの教育面での確執があったとされる。バッハと言えば、我々はすぐに宗教・教会と結びつけてしまうほど、それは切っても切れない関係にあるように思ってしまうが、この時代になると社会的に新しい啓蒙主義思想が台頭し始め、バッハのようなカントルという地位自体が存在感を失いつつあったという。実際、「クラフィーア練習曲集」もバッハ自身の本来の仕事ではないものである。

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    質問者

    ID非公開さん

    2016/11/323:39:32

    ありがとうございました。

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