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遠山の金さんの再放送見て思ったんですが、江戸時代には今のヤクザが掘ってるよう...

gre********さん

2016/11/1819:40:30

遠山の金さんの再放送見て思ったんですが、江戸時代には今のヤクザが掘ってるような色付で龍や虎のような成功な入れ墨を彫ることが出来たんですか?
入れ墨というもの事態が有ることは知っているのですが。

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nis********さん

2016/11/1822:16:14

当時は書道に使う墨と朱の2種類しかなかった…ってのが一般的な認識だと思っておりましたが、山本芳美著『イレズミと日本人』によると他の色も使われていたと書かれていますね。
素人の私には、何方が本当の話なのかは分かりません。
江戸時代のイレズミに用いられていた朱には水銀が含まれていたのだとかで、人体には有害で現在では使われていないそうです。
また、白粉を用いて「白粉彫り」なるものがあったとの話は、講談で語られるフィクションなのだとか。
当時の白粉には亜鉛が含まれていたのだとかで、人体に注入すればヤハリ有毒なのだとか何とか…
鎖国の間に日本の入れ墨は独自の進化を遂げましたが、もしかすると色の種類が無い事が表現の工夫に繋がったのかもしれませんね。
開国後に目にした西洋の入れ墨は日本の入れ墨とは明らかに異質で、その特徴の一つがカラフルであった事の様です。
でも精巧さ精緻さでは日本の入れ墨が格段に優っていた様で、噂を聞きつけて海外の要人が日本に入れ墨しに来たと言うエピソードもあります。

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not********さん

2016/11/1819:56:27

wiki入れ墨より

江戸時代
四代将軍徳川家綱の時代(延宝・天和年代)には、江戸神田の釣鐘与弥左衛門が名高い彫師であった。
現代に続く日本の華美な入れ墨文化は、江戸時代中期に確立された。
江戸や大阪などの大都市に人口が集中し始め、犯罪者が多数発生するようになったため、犯罪の抑止を図る目的で町人に対する入墨刑が用いられ、容易には消えない入墨の特性が一般的に再認識されたことで、その身体装飾への応用が復活した。
遊郭などにおいては、遊女が馴染みとなった客への気持ちを表現し起請する手段として、上腕に相手の年の数のほくろを入れたり、「○○命」といった入れ墨を施す「起請彫(きしょうぼり)」と呼ばれた表現方法が流行した。
こうした風潮に伴って、古代から継承された漁民の入れ墨や、経文や仏像を身体に刻む僧侶の入れ墨といった、様々な入れ墨文化が都市で交わった。
江戸時代末期には、歌川国芳を代表とする浮世絵などの技法を取り入れて洗練され、装飾としての入れ墨の技術が大きく発展した。
装飾用途の入れ墨は入墨刑とは明確に区別され、文身と呼ばれることが多く、江戸火消しや鳶などが独特の美学である『粋』を見せるために好んで施した。
参照:当時の浮世絵に描かれた入れ墨
背中の広い面積を一枚の絵に見立て、水滸伝や武者絵など浮世絵の人物のほか、竜虎や桜花などの図柄も好まれた。額と呼ばれる、筋肉の流れに従って、それぞれ別の部位にある絵を繋げる日本独自のアイデアなど、多種多様で色彩豊かな入れ墨の技法は、この時代に完成されている。
十一代将軍徳川家斉の時代(文化年代)に入れ墨の流行は極限に達し、博徒・火消し・鳶・飛脚など肌を露出する職業では、入墨をしていなければむしろ恥であると見なされるほどになった。

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the********さん

2016/11/1819:42:57

あります、安心して下さい!

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