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弥生時代の邪馬台国の女王・卑弥呼と古墳時代の皇室とは関係はあるのですか?

zer********さん

2016/11/2512:28:46

弥生時代の邪馬台国の女王・卑弥呼と古墳時代の皇室とは関係はあるのですか?

補足卑弥呼の墓が一体どこにあるのか?が興味深いですね。

それによって邪馬台国が九州説なのか、それとも近畿説なのか、。どちらが判明するわけですし。

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ola********さん

2016/11/2802:43:32

卑弥呼の墓は奈良県桜井市の「箸墓」であり、卑弥呼は皇室の始祖であるといえます。

それは理由は二つ。

「箸墓」は最初の前方後円墳であり、ヤマト王権(天皇家)を象徴する形式の古墳であること。

「箸墓」の周濠から出土した築造時期直後に捨てられた土器に付着した炭化物を炭素14放射線年代測定法で測定したところ95%の確率で240~260年であることが確認されたことから、「箸墓」の築造時期がこの時期であると思われる。

○前方後円墳=ヤマト王権を示す古墳の形状

この説は、もはや定説であり考古学を少しでも知っている人間ならば異議を唱えるようなものではないだろう。

前方後円墳の分布はほぼ本州から九州まで広がり、中心は奈良盆地及び河内平野とその周辺地域にあり、規模や副葬品の点においても中心性は歴然としていることから「大和王権」の成立と前方後円墳の成立と関連付けられている。

○炭素14放射線年代測定法

問題は次の最古の前方後円墳「箸墓」であるが、この古墳の年代について「国立歴史民俗博物館研究報告 第163 集 2011 年3 月」で発表された「古墳出現期の炭素14年代測定」春成秀爾ほか、で以下のように報告されている。

「古墳開始期にかかわる桜井市纏向遺跡群出土試料などの炭素14 年代測定を系統的に実施した。
測定結果は日本産樹木年輪の炭素14 年代測定に基づいて較正し,土器型式および出土状況からみた遺構との関係による先後関係から,箸墓古墳の周壕の「築造直後」の年代を,西暦240~260 年と判断した。」172~173頁より


つまり、「箸墓」の築造時期は、卑弥呼が亡くなった247年と符合する。

他地域での墳墓がせいぜい100m規模であることに比して、「箸墓」は全長270~290mという群を抜いて巨大な古墳で「倭の女王」にふさわしいこと。

また、前方後円墳という規格化された古墳が「箸墓」が築造されたのと同時期に福島県南部から九州北部まで広範囲で築造されたことから、「大和王権」の成立時期が3世紀前半と考える。

以上。

蛇足であるが、炭素14放射線年代測定法について誤解を招くような意見があるので説明する。


>毎日新聞 2009年6月1日「箸墓は卑弥呼の墓」(暦博年代測定 信憑性疑問も)

「邪馬台国をとらえなおす」(講談社新書 2011年)で大塚初重氏は、この件に関して2009年段階では、放射線年代の年代分析は世界標準とずれる部分があるとし、誤差が大きくなる可能性があるので考古学者の多くが疑問符をつけているとしたうえで、続けて以下のように書かれている。

「春成秀爾らのグループがAMSによる炭素14放射線年代測定法で計測し、それによって得られた数個を日本産樹木年輪によって較正した結果ということである。(上記、2011年歴博163集の報告のこと)・・・・・この測定結果はおおむね考古学会が認める方向にあると思う。」221~222頁

新聞記事の件は昔の話、記事から7年もたって炭素14放射線年代測定法は標準的な手法になっている。



>大塚初重「邪馬台国をとらえなおす」(講談社現代新書)225ページに
>『桜井市教育委員会は、「周壕内から出土した鐙は箸墓築造後30年ほど
>の堅く積もった堆積土の中から~」と発表している。』と書いてある。

この回答者は執拗に、この件を言い張るが(笑)

新聞報道を鵜呑みにした大塚氏の誤解である。

桜井市の「纒向学研究センター」HPには、こういう説明がされている。

「箸中地区の木製輪鐙
輪鐙が出土したのは幅約10mの箸墓古墳周濠の上層に堆積した、厚さ約20~25㎝の植物層の中層からで、古墳が築造されて暫く後に周濠に投げ込まれたものと考えられます。」


どこにも「築造後30年」とは書かれていない。

そもそも地層から、そんな細かい年代はわからない。(大笑)


>wikipedia「箸墓古墳」には、築造時期について、

wikipedia?

歴博の報告より信用できると主張するわけだ。

変わった人だね。



>東京大学総合研究博物館

たしかに測定誤差があるにはあるが、これは縄文時代で4千年の前のず~っと古い時代のこと。

邪馬台国時代のように時代が新しくなれば測定誤差も20年レベルまで下がる。

○総合大学院学術論文集「文化科学研究 創刊号」2005年から

「弥生時代の開始年代―AMS 炭素14年代測定による高精度年代体系の構築」
学術創成研究グループ 藤尾慎一郎・今村峯雄・西本豊

には以下のような説明がある。

「炭素14年代には、測定に伴う誤差がつけられている。較正曲線のデータにも誤差が付いているので、両者の重なりを統計的に処理すると、較正年代が確率密度分布として与えられる。その形は過去の炭素14濃度の変動を反映して複雑なものになる。以下、較正年代はその出現率が95%の確率で収まる範囲を示す」


この統計処理には「ベイツ理論」と呼ばれる宇宙船の運行予測にも使われる確率論で非常に高い精度が求めることができる数学理論が使用されている。

箸墓の年代は240~260年の範囲で95%の確率で収まるということで、「箸墓」が卑弥呼の死去した時期に築造された可能性が高い。


もう少しアカデミックな批判をしましょう、アホ丸出しです。

  • ola********さん

    2016/11/2802:58:38

    卑弥呼は亡くなった時期について、壹與が晋書に266年に使節をおくったので247年から266年までの間とする人もいますので、知恵ノートにまとめました。

    http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n398335

    正始八年(247年)、帯方郡から倭に派遣された張政が難升米に告諭したという記事の後に卑弥呼が死んだとあるので、普通に考えれば張政が倭について時には卑弥呼は生きていたと考えるでしょう。

    さらに王位継承をめぐる争いがあって壹與が王位につき、掖邪狗を魏に派遣するこちになり、その使節と伴に張政は帰国。

    掖邪狗の派遣時期について倭人伝では明確に書かれていないが「冊府元亀」巻九百六十八 外臣部 朝貢第一には正始八年(二四七年)、倭国の女王である壹與は、掖邪狗を派遣してきたという記事があるので、卑弥呼の死は247年以外はありえないという結論です。



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質問した人からのコメント

2016/12/1 22:22:50

皆さん、回答どうも有難うございます。

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yas********さん

2016/12/103:21:43

邪馬台国は対馬壱岐を中心とした辺境の弱小勢力です。
主流派勢力の皇室とは無関係です。

卑弥呼の都は魏志倭人伝で一大国と記載されている壱岐にありました。墓も壱岐にある可能性が高いでしょう。

sam********さん

2016/11/2919:16:56

おそらく、卑弥呼の墓を特定することは出来ないでしょう。「卑弥呼の墓」って書いてあるとも思えませんし、殉死した者が墓の周辺に埋められているという特殊なものを発見できれば違ってくるでしょうが、それは無いだろうと思います。
推測で主張するばかりで、卑弥呼の墓であると断定できる絶対的な材料が足りませんからね。
巫女の流れからすると、宗像三女神と何らかの繋がりがあって、大国の王家の末裔という事で特別視されて女王に担ぎ上げられた可能性が無いとは云えない。そんなところでしょうか。そうなると、遠い親戚という事も在り得ます。
ただ、その頃、天皇家の先祖は九州の王家とは袂を分かれて独立の行動を取っている為、付き合いは無かっただろうと思われます。
邪馬台国が近畿にあったとすれば、近畿から北九州まで勢力圏内に入っていた事になりますが、そうすると神武の東征話では東征スピードが速すぎる。そんなに簡単に勢力範囲を伸ばすのは不可能でしょう。
つまり、今言われている3~4世紀にヤマト王権が成立したとすると、卑弥呼が生きていた年代には東征を開始していないと、九州から近畿まで辿り着くのは無理ではないかと考えます。
その根拠は大国主命の話で、大国主命は世襲制で何代にも渡って受け継がれた事績であると考える方が自然で、出雲から北陸まで相当な時間を掛けて征服しています。それだけ時間が掛かると考える方が自然です。
従って、神武の東征が開始された後に、九州に邪馬台国が誕生したと考えた方が理に適っているのです。
因みに邪馬台国は「ヤマト国」の聞き間違いでしょう。そして、ヤマト王権も「ヤマト」と名乗っている事から、この二つの国の指導者は出自を同じくする関係にあったと考えています。それぞれが宮崎発の王家の正統な後継者を主張していたという解釈です。
「ヤマト」の元々の意味ですが、「山人」(山幸彦の子孫という意味)だと思われ、神武の東征以前のどこかで独立した行動を取る様になったのだと考えます。
もっと詳細に検討して導き出した説なんですが、より具体的に再検証しているところなのでこれくらいしか云えません。

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ama********さん

2016/11/2916:37:23

卑弥呼の墓は天石門別矢倉比売神社の古墳ですよ。

gim********さん

2016/11/2902:38:35

卑弥呼とは、天照大御神のことを指していると、
現在の歴史学会は言っています

私は、邪馬台国は出雲だと思ってるんです(笑)

神話と一致してることが多いですからねー♪

学会の一部には、卑弥呼イコール神功皇后という一派があるんですが、
ならば、卑弥呼の墓は神功皇后の…と思いませんか?
((o(^∇^)o))

knn********さん

2016/11/2707:53:41

> 補足
> 卑弥呼の墓が一体どこにあるのか?

卑弥呼の墓を箸墓古墳とする説があります。
箸墓古墳の築造年代を西暦240~260年ごろとする国立歴史民俗博物館の発表が、その根拠です。

箸墓古墳の築造年代を西暦240~260年ごろとする国立歴史民俗博物館の(一方的な)発表は学会で承認されている訳ではありません。
毎日新聞 2009年6月1日
「箸墓は卑弥呼の墓」(暦博年代測定 信憑性疑問も)
発表後、司会者の同協会理事が「(発表内容が)協会の共通認識になっているわけではありません」と、報道機関に冷静な対応を求める異例の要請を行った。
(新聞記事は東京都立中央図書館などの新聞縮刷版で確認できます)

従来、箸墓の築造は4世紀とされていた。箸墓の周濠から4世紀の木製の鐙(あぶみ)が出土している。鐙が周濠内に投棄された遺物なら箸墓は4世紀の築造とするべきです。
大王墓の完成後は周濠には入れない。神聖な周濠にゴミを捨てることは許されない。周濠に木製品が浮いていたら墓守(はかもり)が拾うでしょう。つまり周濠の底に埋まっていたのなら築造中しか考えられない。
桜井市纒向学研究センターでは「古墳が築造されて暫く後に周濠に投げ込まれたものと考えられます」としているが、築造されて「暫く後に周濠に投げ込まれた」のなら墓守が拾うでしょう。「暫く後」とは10年後か20年後か多く見積もっても30年後でしょう。まさか50年後ではありませんよね。(「暫く」は短い時間のこと)
大塚初重「邪馬台国をとらえなおす」(講談社現代新書)225ページに『桜井市教育委員会は、「周壕内から出土した鐙は箸墓築造後30年ほどの堅く積もった堆積土の中から~」と発表している。』と書いてある。
仮に箸墓の築造を西暦240~260年とすると、30年後も40年後も3世紀で、4世紀の鐙の出土は無理です。鐙の問題もまた邪馬台国畿内説の克服すべき難点です。

wikipedia「箸墓古墳」には、築造時期について、
「陵墓指定範囲外の周濠の底からから発見された土器に付着していた炭化物が3世紀中頃のものだとしても、この古墳が発掘された纒向遺跡には縄文時代から古墳時代までの遺跡が存在しているのでそれが箸墓古墳の築造年を代表しているとは言えない。」
と、記述されている。
つまり、発見された土器の使用年代と箸墓の築造年代は無関係です。
さらに、
「また炭化物による年代推定には通常数十年から百年程度の誤差があり、3世紀後半と断定できるほどの精度は無い。」
と、記述されている。

参考までに、
東京大学総合研究博物館
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000dm2k/japanese/02/02-12.h...
「それでもまだ、東大の現状では、炭素14年代の誤差が50~100年で、製造年代と使用年代の違いが見えてくる状況ではありませんが、今後さらに精度を上げれば、ディテイルが浮かび上がってくるものと期待しています。」

※炭素14年代測定を行うのなら、日本考古学協会主導で箸墓の宮内庁管理区域内から人骨などの適切な遺物を掘り出して、3つ以上の研究機関や大学へ測定を依頼して結果を公表するべきですが、難しいでしょうね。

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