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元南海の三浦清弘投手を知ってますか?

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ID非公開さん

2016/12/408:43:30

元南海の三浦清弘投手を知ってますか?

1966年

それほどスピードがあるわけでもないが、ていねいにていねいに、と攻めるのが三浦のささえになっている。その軸が他の投手ならカウントかせぎに使うスライダー。これが東映にやっかいなきめ球になっている。「去年ほどシュートがズバリときまる威力がない」(三浦)のがスライダーを多投する理由のようだ。それも「ほとんどの投手が投げるのとは段違いに曲がり方が大きい」と別当薫氏はみた。「これでは右バッターなら右翼へ流すのがうまくないととても打てない」という。三浦は二回、坂崎、種茂、佐野、西園寺から四本の長短打で2点をとられた。「リキんだうえに、堅くなっていた。どんな球を投げたのかわからない」痛打を浴びた球の種類には首をふっていたが、四人の東映打者は「カーブ」「オレのはシュートだ」といいスライダーはだれの口からも出てこなかった。東映は、三浦をKO寸前まで追い込みながらきめ球を打ち込めなかったために、立ち直られてしまった。「バックがいっぺんに5点もとってくれたからずいぶん楽になった。それでも調子は悪かったね。まっすぐははずれすり、野村さんがうまくリードしてくれたからよかっただけです。後半スピードをかえたスライダーをまじえたのがよかったかな」カーブとかわらないほど大きくすべるスライダーに東映は打つ手がなかったのだろうか。この疑問は宮沢スコアラーが解いている。「同じスライダーでも、この夜の三浦は違った。いまでは低めばかり攻めていたのに、ガラッと切り替えて高めばかりに持ってきた。ちょうど手が出そうなところへ持ってきて打たせていた」パイを握っても、大きく降り込むポカはないという三浦の読みが、東映を上回っていたのだろう。「毒島、張本の三、四番の前で途切らせるように、ずいぶん気をつかった。二人は当っているだろう。だから走者をおかないように、毒島の前で断ち切ったのがよかったんやな」この二つの読みが成功したのに、三浦はまだ先の計算をしているのか「東映さんがとくにスライダーに弱いわけではない」といった。右手の指はふつうサイズ。10勝目をかせいだ大きいスライダーの秘密はどこに隠されているのだろうか。

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2016/12/411:29:00

知らなかったので調べました。

別府鶴見丘高ではエースとして1956年夏の甲子園に出場。

1回戦で足利工を降すが、2回戦では米子東高に0-1で惜敗。

高校同期に外野手の山本征良がいた。山本と共に1957年、南海ホークスに入団。

1年目から一軍で登板機会こそ得たものの、1961年までは目立った活躍はできなかった。

1962年には生涯最高の成績となる17勝を挙げ、1963年も13勝を挙げる。

1965年には最優秀防御率のタイトルを獲得し、杉浦忠、皆川睦雄らとともに南海最盛期の投手陣を担った。

1972年も9勝を挙げたが、1973年に金銭トレードで太平洋クラブライオンズに移籍。

1975年に現役引退。

引退後もクラウンの二軍投手コーチ(1977年)・スカウト(1978年)を経て、退団後は大阪市北区曾根崎新地でふぐ料理店『三浦屋』を経営していた。

2016年3月27日、肺炎のため大阪市内の病院で死去。

77歳没。

通算553試合登板
132勝104敗 防御率3.09

最優秀防御率:1回(1965年)

オールスターゲーム出場:2回(1965年、1966年)

背番号
34 (1957年 - 1975年)
77 (1977年)

スリークウォーターからの速球に威力があり、カーブ、スライダー、シュート、ナックルを多彩に操った。

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質問した人からのコメント

2016/12/4 11:33:59

うひょおおお

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