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①花かとてたづねきたれば白雲の立田の山の梢なりけり ②咲かぬまは花かと見えし白...

tok********さん

2017/1/213:07:23

①花かとてたづねきたれば白雲の立田の山の梢なりけり
②咲かぬまは花かと見えし白雲にまたまがひぬる山桜かな

この2つの和歌の説明で参考書には

①が俊成歌を論理化し解説したようなよみ

ぶりをしており、②は桜を白雲と見ている見方、白雲を桜とみている見方の2種類の見方を一首の中に両存を許している。

と、解説をされているのですが
どこからそのような判断がされうるのかその根拠がイマイチ掴めないです…
ご回答よろしくお願いいたします。

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aom********さん

2017/1/215:34:31


まず、前提として、
俊成作「面影に花の姿を先立てて幾重越え来ぬ峰の白雲」
の歌がある。
「幻として桜の花の姿を目の前に見てそれを追いかけながら、
いくつの山を越えてきただろうか、
だが、その桜だと思った目の前の幻影は、
いつも山の高いところにかかった白雲であって、
本当の花は、まだ見ていない。」
という内容の歌。

①の「花かとて」の歌は、この俊成の歌を理屈っぽく説明したみたいな和歌で、
オリジナリティーもないし、説明的なだけで魅力がない、
と言っている。
和歌を「説明」しちゃっちゃいけないでしょう、と。
それは、和歌の「解説文」であって、(本歌取りの)和歌じゃないでしょう、と。

「花かな?と思って、追いかけ求めてきてみると、
実は、それは、白雲の立つ、立田山の木の梢であったよ。
なあんだ、立田山の木の枝先の方に白雲がかかって見えたのを、
桜と見間違えていたんだな。」
俊成の歌を、「わかりやすく説明」したみたいでしょう?
でも、わかりやすいだけで、面白みはないよね、
ましてや、これが、オリジナルならともかくも、
「花と雲を見間違える」という発想は手垢がついているし、
俊成の歌にあるような思い切った言い回しもない。
まさに、説明文そのもの。



「桜がまだ咲かない間には、花かと見えていた白雲、
花が咲いてからは、白雲にまた見間違える山桜だなあ。
桜が咲かないうちは、山にかかる白雲を見ては「桜かな??」と思っていた。
ところが、桜が咲いてからは、
逆に、山桜を見ては「山にかかる白雲かな??」と思ってしまう。
ふつうに、桜は桜、雲は雲、に見えへんのかーーーい!
なんでいっつも反対に見間違えてまうねーーーん!」

この、
「桜は必ず雲と見間違え、雲は必ず桜と見間違えてしまう、
という、両方の見間違え方を一首の和歌の中に盛り込んでいる」
ということを、
「桜を白雲と見ている見方」と「白雲を桜と見ている見方」との「2種類の見方」
を「一首の中に両存」させている、
と言っているんだよ。

質問した人からのコメント

2017/1/4 19:45:54

ご回答ありがとうございます…

しっかり内容が掴めました。
参考書の解説があまり詳しくなく、本当に助かっています。

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