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家康は駿府で大御所政治を始める前は伏見城に多く在城してましたが、なぜわざわざ...

tac********さん

2017/1/1610:27:14

家康は駿府で大御所政治を始める前は伏見城に多く在城してましたが、なぜわざわざ駿府に移動したのでしょうか。伏見城でそのまま政治をしても良かったのでは?

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zun********さん

2017/1/1621:33:54

まず江戸では秀忠と幕臣による関東大整備がおこなわれており、それを家康は監督する必要があったことでしょう。

当時の関東では、江戸城の拡充のために全国から大名が集められていたし、利根川東遷事業もあり、山一つくずした土で浅瀬の埋め立てをしてと、たいへんな喧騒です。

こうした状態の江戸で、戦国生き残りの強者たちに指図するのが譜代大名では軽すぎますので、将軍家が頂点にいるのが妥当だと思います。

次に、家康が将軍職を退いた時期の大名の配置ですが、西国はほとんどが外様大名です。
徳川勢力圏の先鋒は、彦根の井伊がつとめて、それより西に有力な譜代大名はいなかったことと思います。

これでは、伏見城は徳川の勢力圏から飛び出した、出城のような印象です。

秀吉が伏見に居を定めたのは、京の邸宅は秀次に譲り、自身は西国を監督して大陸を目指すためと考えられます。
秀吉にとっての伏見と、家康にとっての伏見では役割も意義も違っています。

大坂の秀頼が最後の課題となると、大坂から京まで、要害が一つもないのも不安を増大させます。

質問した人からのコメント

2017/1/22 21:15:15

ありがとう御座いました。

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dsd********さん

2017/1/1619:56:40

駿府は気候的に住みよかったからです。
家康の長い生涯の経験上、
こんなに住みよい場所はなかったのですよ。

vegadazeさん

2017/1/1618:48:15

子供の頃に住んでいたし、駿府が好きだったみたいですね。海も山もあって景色が良いそうです。

lai********さん

2017/1/1615:26:01

駿府は秀吉によって関東に移封されるまで家康が居城としていた場所であり、今川の人質として青年時代までを過ごした懐かしい場所でもあります。また冬は底冷えのする京都盆地の伏見に比べて温暖な気候は、老年を迎えた家康にとって隠居所として最適の場所だったのでしょう。さらに関ケ原の戦いに際して真っ先に攻略されたのが伏見城です。家康はこの地に留まることに危険を感じたはずです。

oya********さん

2017/1/1614:05:55

伏見は秀吉の城下じゃないですか。

地震で全壊してるし、危険。

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2017/1/1612:51:31

大坂から一気の進軍で、伏見城陥落の危険性ある。

命あっての物種である。

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