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坂本龍馬ってそこまですごいことしてないのになぜあんな有名なんでしょうか

y_j********さん

2017/1/1823:13:57

坂本龍馬ってそこまですごいことしてないのになぜあんな有名なんでしょうか

補足2010年の大河ドラマの「龍馬伝」を
1年間ずっと見続けて、前々から思ったんですが、
坂本龍馬ってそこまですごいことしてないのに
なぜあんな有名なんでしょうか?

歴史を変えた功績としては
西郷と木戸の仲を取り持ったのと、
船中八策くらいですよね?
実際に倒幕の実行を移したのは薩長であり
坂本龍馬は人任せだし、
船中八策も維新政府の綱領の原本になったとはいえ、
実際にその政策を進めてったのは龍馬じゃないし、
しかも龍馬は自分自身新政府のメンバーに入ろうとしてなくて、
海を渡り世界を旅がしたいと言ってるお気楽者だし、

しかも薩長を結びつけるまでは、
プラプラ放浪してただけな気がします。
海軍操練所も途中で潰れて無駄足に終わったし、
海援隊は事業として金儲けに成功しててそこはすごいけど、
でも特に歴史を変えるほどの功績ではないし。

なのに、なんで大河ドラマの主人公になるくらい
有名なんでしょうかね?
もっとすごい人が沢山いるのに。
例えば初代総理大臣の伊藤博文とか
桂小五郎(木戸孝允 )とか。
なぜ坂本龍馬の方がピックアップされるんでしょうか?

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int********さん

2017/1/2201:15:18

下に、近代的国民国家の構想は

明治の元勲たちにとって、すべてが龍馬の構想であり、自分たちは実行部隊にすぎなかったという認識は不愉快であり、そもそもその通りであれば、明治維新の論功行賞など出来ません。そして不幸なことに、その通りでした

という回答がありますが、「論功行賞」ではなく「賞典禄」の間違いでしょう。
しかも、賞典禄は王政復古と戊辰戦争で功績のあった者に永世禄、終身禄、年限禄の三種に分けて政府から与えられる封禄なので、これ以前に死亡している坂本龍馬がその対象外だったのは当たり前。

けれども、明治四年に明治政府から永世十五人口を賜り、甥の高松太郎が「坂本直」として龍馬の名跡を継ぐことを許され、さらに明治二十四年には正四位が贈られています。
これは、明治政府が龍馬を維新の功労者として報いたということで、このころから知名度も高かったはず。

また、三条実美に仕えていた戸田雅楽(尾崎三良)が作成した『新官制擬定書』には、「参議」として龍馬の名がハッキリと書かれており、これを見せられた龍馬は非常に喜んだと、戸田は回想しています。、
龍馬にとって、「世界の海援隊」をやることと、新政府に参画する意欲があるということに矛盾はなかったんですよ。

  • int********さん

    2017/1/2201:25:03

    大政奉還運動の最終段階は武力発動になると認識し、土佐藩を薩長芸三藩の挙兵に同調させようとしていた龍馬を、薩長が殺害するなどあり得ないでしょう。

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2017/1/2519:28:17

龍馬伝を見ただけなんですか?
せめて「お〜い竜馬」も読んでみてください。

くんまさん

2017/1/2502:13:43

「龍馬伝」を観てたら凄い事してると思うハズですよ。

薩長同盟や大政奉還など、全て龍馬の発想力と行動力によって成された事になってますから。

実は大したことしてないんですけど。


薩長同盟に向けて龍馬より早く動いていたのは、同じ土佐藩出身の中岡慎太郎です。

薩長で手を組む話しは龍馬無しで進んでました。

薩摩の家老である小松帯刀の屋敷で会談は行われた為、薩摩側は小松や西郷隆盛など数人。

長州側は代表者として木戸孝允一人でした。

なので木戸が第三者である龍馬を加え、同盟が確かである証人となってもらったのです。


船中八策は由利公正のパクリですね。


海援隊は軍艦は持ってるけど動かす知識は無い薩摩が、海軍操練所が潰れて途方に暮れてる龍馬達を使う事で解決させる為に作った会社です。

龍馬が「よし!商売をしよう!」と立ち上げた訳ではありません。


大政奉還は松平春嶽、大久保一翁、勝海舟など、幕臣の中でも数年前から唱える人はいました。

時は流れ倒幕派が勢いづき「このままでは内戦は避けられない」と思った徳川慶喜が、開明派の幕臣や薩摩の小松帯刀などが進言していた大政奉還を受け入れたのです。

龍馬も何かしら動いていたかもしれませんが、その影響は微々たるものでしょうね。

kas********さん

2017/1/2500:45:17

伝記作者に恵まれたからです。
坂崎紫瀾が書いた『汗血千里駒』が明治のベストセラーになり
司馬遼太郎が書いた『竜馬がゆく』が昭和のベストセラーになったことで
龍馬は国民人気を獲得しました。
伊藤博文や木戸孝允にはそこまで優秀な伝記作者がつかなかったので
歴史上の偉人としては認められていても
国民人気まではないのです。

EASYさん

2017/1/2121:41:35

大したことやってますよ。
①近代的国民国家(ネイションステイト)の構想
②大政奉還の実現
③薩長同盟の実現
④海援隊の創設(株式会社の構想)

以上です。
そして、その故に龍馬は暗殺されなければなりませんでした。

まず①ですが、明治の元勲たちにとって、すべてが龍馬の構想であり、自分たちは実行部隊にすぎなかったという認識は不愉快であり、そもそもその通りであれば、明治維新の論功行賞など出来ません。
そして不幸なことに、その通りでした。

②と③は言うに及ばないでしょう。
ふたつながらこれは当時、驚天動地の出来事でした。
大政奉還を実現したということは、その逆もまたできるということです。
また犬猿の仲だったはずの薩長同盟を実現させたということは、明治政府の敵対勢力も糾合できるということです。
政府内で飼い殺しできれば一番良かったのでしょうが、④のように、官途に就く気は全くありませんでした。
こんな人物に在野でうろうろされては、新政府はたまったものではありません。
そして当時、人材は完全に払底していましたから、龍馬に対抗出来るほどの人材は、もはや日本国中のどこを探しても出て来ません。

したがって、薩長としては暗殺という手段に踏み切らざるを得なかったわけです。
④で、「株式会社」の概念など全く無かった明治の元勲たちが「あー龍馬はこんなことがやりたかったんだ」と気づくのは、岩崎弥太郎の「三菱」の登場を待たねばなりません

hay********さん

2017/1/1923:31:48

この人の死をやたら惜しむ声があるけど何故殺されたか知らずに言ってるから笑える。

斬った側の人間は職務上の事であり治安部隊として当たり前のことをやったまでだと思うんです。
ただでさえ殺人犯だというのに…

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