ID非公開さん
2017/1/28 11:21
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3年かけて投資で540万円を失いました。家族の金にも手をつけてしまいました。明るみにはなっていませんがもう償いきれません、死にたいです。詳細は下記に日記の文章を引用します。
3年かけて投資で540万円を失いました。家族の金にも手をつけてしまいました。明るみにはなっていませんがもう償いきれません、死にたいです。詳細は下記に日記の文章を引用します。 この3年間の収支について、働かずに何と820万円も収入があったのである。それなのに今や数万円しか残っていないのだ。しかも、SBI証券の年間取引報告書を初めて3年分洗い直したのだが、何と投資損失が525万円にものぼっていた。かつて自分で試算したときは300万円くらいだろうと思い、それだけでも衝撃的だったのだがなんと255万円も多かったのである。 それにこの3年間の収入だけ見ても820万円もあった。サラリーマン時代の年収は270万円だったので、仕事に行かなくなった2014年の1月からの丸3年間、不労所得で年収と同じ水準の収入を得ていた計算になる。もちろん祖母贈与の50万円、最終戦の50万円、損失補填90万円もその中に含まれるが、膨大な金をやむにやまれず自分の物にし、同時に損失していたことになる。祖母の口座から流れた金に関しては、前途の合計190万円プラス学費50万円、合間の小遣い60万円として合わせて300万円を超えるだろう。そしてカード支払のため母に工面してもらった50万円、傷病手当金の280万円、雇用保険の130万円、サラリーマン時代に貯めた60万円など全てを合わせると820万円にもなる。 だが有意義な使い方をしたのはこのうちの300万円に満たない、年額にすると約100万円にすぎない。残りの525万円は全て投資に失敗して失ったのである。これにはFXとバイナリーオプションの損は含まれないので、全てを合わせると実に540万円にものぼるだろう。正確には820万円のうち280万円しかまともな使い方をしておらず、逆に言えばそれで最低限の生活は賄えたとも言える。それなのに540万円もドブに捨て、一端のサラリーマンの年収に当たる莫大な金を、3年かけて投資に踊らされて失ったのである。 なぜこんなに損を重ねても株をやめられなかったのだろうか。株の損失の内訳を見ると1年目は約79万円、2年目は約328万円、3年目は約119万円であった。なんと2015年は300万円以上失ったのである。それでもあの時は止められなかった。2015年の夏に彼女と出会って一旦は株を止めたが、その時には既に前年分と合わせて400万円以上失っていたことになる。それから傷病手当金が終わり、雇用保険金を地道に貯めて借金返済を目指すようになったが、結局はブランジスタの大損とシライ電子の大損で2016年も119万円を失う事になる。 前途のように、これらにFXとバイナリーオプションの損失を合わせると推定540万円の損失になる。540万円もあれば何ができたか、その事を考えるたびに死にたくなる。190万円、すなわち母に50万円を返済し、祖母に最終戦の50万円とブランジスタの損失補填90万円を借りずに済んだとしても、純利益は350万円もあった。これだけの金があれば50万円で歯の矯正をし、100万円で車を買い、もう100万円で世界一周旅行をしても現時点で100万円の貯金を残せたことになる。その事を思うと、貯金していれば職場離脱から3年経っても悠々自適な生活が送れていたことを実感し、躍起になって就活する必要もなかったのにと死にたくなる。 あまりに金額が大きすぎて信じられないが、数字は嘘をつかない。せめて一度に540万円が手に入っていれば、有意義な使い方ができただろうし自分がどれだけ損しているか分かったはずだ。だがそれが定期的に入ってくる金、あるいは場当たり的に入ってくる金であったことで、本当は自分がどれだけ莫大な金を動かしているか実感できなかった。一度に入り一度に出て行くなら、絶対にこんな使い方はヤバイと思って自制できていたはずである。だがジワジワジワジワ投資で損をしていく中で、本当の損失に向き合えずにいた。今になってこんなことが分かっても死にたくなるばかりだが、自分は本当に生涯傷が残ることをしてしまった。もうどうにもならない、気が付くのが遅すぎた。あれだけの金があれば遊んで暮らせたのに、日常生活は地道に切り詰めたのに、結局は浮いた540万円を丸めてゴミ箱に捨てたようなものである。もはや金は残っていない、立ち直れない。 私は現在就職活動中で返済の目処は立っていません。もう死ぬべきでしょうか?
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