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南北朝の和睦の際に、皇位は南北交互に任命するという取り決めがあったと記憶しま...

ID非公開さん

2004/12/321:33:19

南北朝の和睦の際に、皇位は南北交互に任命するという取り決めがあったと記憶しますが、それは守られたとは到底思えませんが実際はどうだったでしょうか?私の勘違いならゴメンナサイ。

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ID非公開さん

2004/12/321:50:31

南北朝合一の際に「明徳の和約」が結ばれました。
この中で天皇は北朝系の持明院統と南朝系の大覚寺統が交互に皇位に付く両統迭立が決められていました。
しかし応永19(1412)年に北朝系の後小松天皇の後を称光天皇(後小松院の皇子)が即位したことでこの約束は完全に反故にされてしまいました。
南朝最後の天皇が後亀山でその次が後小松ですから、迭立の約束は一度も実行されなかったことになります。

これをきっかけに南朝の皇統の子孫や遺臣による南朝復興運動(後南朝)が起こり、応仁の乱にいたるまで断続的に活動が続けられました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E5%8D%97%E6%9C%9D

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ID非公開さん

2004/12/510:32:29

闇の歴史、後南朝 後醍醐流の抵抗と終焉 森 茂暁著 角川書店を読むとよいと思います。南朝の人々の窮迫が描かれており、合一にいたる経過とその後がよく分かります。

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ID非公開さん

2004/12/410:40:16

当時は南朝はどうしようもなく追い込まれていて、このような現実性のない和睦案でも飲まざるを得なかったのではないでしょうか?
南朝側のメンツを守った(約束は守らなかったが)北朝側の大人の約束だったのかもしれません。南朝も気づいていたでしょう、きっと。

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