ここから本文です

明治天皇までは側室制度があったそうですが、その当時は一般の人でも側室を持つこ...

amo********さん

2008/6/2208:26:41

明治天皇までは側室制度があったそうですが、その当時は一般の人でも側室を持つことは認められていたのですか?

閲覧数:
17,737
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2008/6/2212:27:51

当時の上級武士(士族)や公家などから転身した華族や皇族だけでなく、上流階級や裕福な商人には側室や妾が居るのが普通であった為、当初明治政府はこれを容認し、「権妻」という二等親の女性配偶者を認めていた。
しかし、西洋諸外国はキリスト教的観念によって一夫一妻制を採用してしたことから、一夫多妻制は野蛮と見られると懸念し、明治政府は明治六年に「権妻廃止令」を出す。
ただし、この法律は役所ですらまともに守られていなかったようで、正式に戸籍に権妻が乗せられなくなったのは明治13年の事だと言う。
それ以降も、上流階級ではこの法律が厳格に運用される事はなかったようで、伊藤博文はそこらじゅうの女に手を出した事で有名だし、勝海舟は女を作っては本妻に世話をさせていたという。

明治天皇の場合、皇后との間に子が無かった為に側室が用意された。
彼女らは外国を憚ってただの女官を装い、当時は存在を秘されていたという。
なにしろ大正天皇ですら、皇后の養子とされて皇后を実母と固く信じておられ、側室の子であることを明かされた時は大きな衝撃を受けたと言うほどであった。

大正天皇はその貞明皇后との間に早くから続けて四人の皇子に恵まれた。
はっきり言ってこれは稀有な事であり、これによって貞明皇后は当時の宮中で絶大な力を得たとされる。
大正天皇本人は側室を持ちたがったという話も一部であるが、四人の皇子がすくすく成長した事もあり、また、皇后との夫婦仲も良かったこともあり実現しなかったという。
昭和天皇は両親の姿をみて、香淳皇后が女子ばかり御生みにあるのを気にかけず、側室の話を拒否し続け、ここに皇室の一夫一妻制が確立した。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

「天皇 側室」の検索結果

検索結果をもっと見る

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

ata********さん

2008/6/2208:40:22

お金に余裕があれば、持てました。
正式に親族(2等親)扱いになってます。
確か『権妻(ごんさい)』とか呼ばれていました。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる