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近代以前の公家や武士の諱について、時代によって使われる文字の流行り廃りという...

usa********さん

2017/5/2410:55:20

近代以前の公家や武士の諱について、時代によって使われる文字の流行り廃りというのはあるのでしょうか?

例えば、平安時代後期から、室町時代の始まり頃まで「師」という文字を用いる諱が多

いように思いますが、戦国時代や江戸時代になるとほとんど見かけません。

戦国時代になると「信」の字は妙に多いように思えます。

もちろんAll or Nothingではないですが、出現頻度は偏っているように見えます。

室町時代や江戸時代になると将軍の偏諱で偏りが生じるのは当然として、偏諱によらず普遍的に使われる漢字の偏りは時代によってあるのでしょうか。

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the********さん

2017/5/2517:13:15

諱は「いみな」で、「忌み名」で高貴な人や、主人筋の人の本名を憚った呼び名とする処から来ています。

平安時代辺りまでは、この考えがしっかりしていて、本名:諱と呼び名:通称がきちんと分かれていました。


平安時代の有る頃から、「ある人物の諱に用いられているものと同一の漢字を用いることそのものがその人物の霊的人格に対する侵害だ」とする観念が薄れ、

むしろ同族意識や、血脈、家格の継承と言う意味を持たせ、「片忌み名」を与えるという考え方に変わります。

此処に、通字・系字という、家に代々継承され、先祖代々、特定の文字を諱に入れる習慣ができました。


本問の場合は、こちら側の諱を話になるかと思います。

この場合、この通字を使い始めた血脈によって、
皇室は「仁」、伏見系は「貞・邦」
藤原では、摂関家が「嗣・輔・房・兼・良」、閑院流が「公・実」
等を使い、他家は遠慮をするようになります。

しかし、武士の台頭とともに、自家の由緒を言い立てたい人が出てくると、

伊勢平氏の「盛」、関東平氏では「常・胤・重・景・貞・時・氏」などを使い、
源氏系では、「義・頼・政・国・範・義・氏」を使いました。

足利氏・新田氏・吉良氏・斯波氏・一色氏・今川氏などは、源氏系を言っていますので、こちらになり、

徳川氏も新田末裔を名乗っていますので、長子・嫡子に「家」を使い、庶流・分家は、義・頼を多用しています。


鎌倉時代から、偏諱授与の風習と言うのができ始めるのですが。

避けるだけではなく、貴人・主家・主人から臣下・庶子(嗣子でない子供)への恩恵の付与として偏諱を与える例が出てきます。

上の人が名付け親になって、通字でない方の字を下の人が貰って上に乗せて名乗りに系統ができるという風習も生まれました。

有名所では、江戸時代で、徳川御三家・越前松平家福井藩主家・加賀藩:前田氏・福岡藩:黒田氏・米沢藩:上杉氏・仙台藩:伊達氏などが継嗣の元服の折に、将軍お目見えの上、頂戴というのがのが有ります。
徳川家綱の「綱」から徳川綱重、徳川綱吉、
徳川綱吉の「吉」から柳沢吉保、徳川吉宗、
徳川吉宗は「宗」で、徳川宗春、徳川宗直、伊達宗村(家の通字の宗を使うと宗宗になりますので、第二通字の村を使っています。)


豊臣秀吉は、秀の字を大安売りですね。
結城秀康、徳川秀忠(家康の次男、三男)、宇喜多秀家、毛利秀元、伊達秀宗など主要な大名の息子に渡しています。


ですので、平安後期以降、強く勢力の大きい大名の影響下にあった人はその人の「字」が流行りのように蔓延したという事になります。
また、武家の強い時には、源平を僭称した人も多いので、源平の通字を使っている人も多くなります。

  • 質問者

    usa********さん

    2017/5/2518:52:19

    たくさんご回答頂いて恐縮なのですが、最初の質問にも書きました通り、将軍などの偏諱によって特定の文字が多くなるのは当たり前と承知しております。

    質問は偏諱によらず普遍的に使われる漢字の偏りは時代によってあるかということになります。

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ban********さん

2017/5/2411:48:37

諱には「通字」つまりその家系が一文字を代々受け継ぐという習慣があります。
文字に流行りすたりがあるというよりは、時代によって繁栄した氏が変わってくる、というのが、主な原因ではないかな、と思います。
「師」というのは京都の貴族である藤原氏が諱によくつけていた」文字ですが、京都の政争が日本史のメインストリームだった時代には「藤原師○」という人物が我々の読むような書物に多く登場するけど、貴族の時代が終わると、師○という人物が京都にいても、別に重要でないので我々の目につかなくなった、ということではないかと思います。
室町の始まり頃といえば「高師直」が有名ですが、この高氏というのは「高階」という姓の略で、田舎武士のくせに足利、北条のような「苗字」を名乗らず、「高」と書いて「こうの」と読ませる、まるで京都の貴族みたいなネーミングを好んだ一族です。貴族全盛時代に多かった「師」なんて文字を敢えて使ってるのも、「オレたちは元を正せば都の公家の一族なんだ、関東の田舎者とは格が違うんだ」という意識があったんじゃないかな、と思います。

戦国時代の二大スターといえば織田と武田でしょうが、これが偶然なのか何なのか、どちらも通字が「信」なんですね。武田信玄の父は信虎、本人の諱は晴信、長男は義信(こないだ大河で廃嫡されていたひと)。信玄の弟もみんな「信」がついている。いっぽうの「織田信長」も、親も子も兄弟もみんな「信」がつきます。もともと尾張と甲斐と離れているので「諱が同じじゃん」なんて思わなかったんでしょう。それが、両者が拡大して激突するようになって、「なんだよ、こっちもあちも信だらけだがや」ということになったんでしょう。この「織田と武田の最終決戦」が当時の日本史のメインストーリーなので、小説でもドラマでもよく出てくる。だから我々が「戦国時代は信だらけだ」という印象になるのでしょう。

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rek********さん

2017/5/2411:43:08

諱?

実名に、はやりすたりはありません。先祖から一字もらう通字があり、家によって決まっています。

師、は高氏、信は武田信義を先祖とする武田氏の通字です。

公家もおなじで、公実から出た三条家は公と実を交互に用います。

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