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古代史ですが、なぜ大和、つまり奈良なのでしょうか。 ほかの場所に比べて、何が...

i_l********さん

2017/6/1820:21:57

古代史ですが、なぜ大和、つまり奈良なのでしょうか。
ほかの場所に比べて、何が良かったのでしょう。

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shi********さん

編集あり2017/6/1821:53:36

倭国大乱の2世紀から、古代国家の息吹が胎動を始める3世紀。

かの邪馬台国の女王・卑弥呼も3世紀前半に盛期をむかえ、その中頃の西暦248年頃に亡くなったとされますよね。

この邪馬台国が威をはった場所は、畿内の奈良盆地か?はたまた九州北部あたりなのか?
未だに議論されているところなのですが(邪馬台国論争)
その部分はひとまずおいて、少なからず後のヤマト政権に続くであろう、列島にあった有力な政治集団が、畿内・奈良盆地に出現したのであろう。
ここの部分はコンセンサスがとれはじめていますよね。

というのも同時代の遺跡の中でも最大規模を誇る纒向遺跡の調査が深化するごとに、その遺跡の規模に見合う政治集団の存在が、説得力を強めています。

で、ご質問ですよね
「なぜ大和、つまり奈良なのでしょうか」

古代、とくに「クニから国」への脱皮を始める時代ににおいて、なぜ最大規模の遺跡が奈良盆地に存するのか?
誰もがいぶかるところだと思いますが、その謎が近年の科学研究の進化により説明されようとしています。

自然の埋没木や考古木材遺物の年輪に含まれる「セルロース」という物質を調査することにより、特に同時代の夏の降水量の変動が、科学の力で年単位の復元ができるようになろうとしています。

そして、そのセルロースの研究によれば、どうやら2世紀から3世紀の初頭、日本に限らず世界は不安定な夏を迎え、右往左往していた時代であったとされます。

具体的にいえば、夏の降雨が多く、寒い夏を迎えていたのであろう。

そのように考えれば、ご指摘の古代。
これは奈良盆地に限らず、瀬戸内の吉備(岡山付近)や北関東の毛野(群馬県付近)らが、ひとしく威をはった事例を説明できます。

瀬戸内の吉備や関東平野の最奥に位置する毛野などには、当時、冷涼多雨の夏を迎え、各地が洪水などに悩まされていた時代、取り立てて大きな河川のない奈良・吉備・毛野のあたりは、相対的に河川の氾濫などの被害が少なく、この時期に勢力を伸張させることができたのでは?

世界史的視点に立っても、中国の漢は西暦184年に起きる黄巾の乱により。
またローマ帝国も西暦162年にはじまるマルコマンニ戦争を契機に衰退を始めるのですが、こうした動きもまた、冷涼多雨な気候変化が生んだ、大きな混乱の遠因になり得たでしょうし、また気候変化による、社会的変革の波は、この日本においても例外なく社会的構造改革を求めてきたのでは?

ご質問の件に関し、近年はこのように考える方向性が強いと感じています。

  • 質問者

    i_l********さん

    2017/6/1900:34:52

    傾聴に値する説をありがとうございます。必然性がより明確な説だと思います。
    >瀬戸内の吉備(岡山付近)や北関東の毛野(群馬県付近)らが、ひとしく威をはった事例
    というのは、どのようなものでしょうか。参考になるサイトでも構いません。
    よろしくお願いします。

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質問した人からのコメント

2017/6/25 21:45:00

ありがとうございます。
一番説得力、必然性が説明されていたと思います。

ありがとうございました。

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nty********さん

2017/6/2111:13:43

長文申し訳ありません。

紀元前10世紀前後、
水耕栽培と言う新しい稲作技術を会得した部族が九州から『東進北上』
既に先進的な縄文文化を持った部族が気候変動などの影響もあり、『西進南下』
大和辺りが衝突もありまた緩衝地帯として文化の融合がはかられたのだろう。水耕栽培は意外に早い速度で尾張まで浸透。地名の『尾張』は文化のおわりの地域をしめす言葉の地名。当時の稲作技術では気候のハンデは大きく、間があいて紀元前2世紀頃には関東にも進行したが、先に主食の安定化が完成した西日本に対して立ち遅れがあったのは否めない。そのため、次の戦乱の世は筑紫、吉備、出雲、大和など西日本の国々が凱歌をあげたと思われる。ここまでが時代的な当たり障りのない推論。
次に戯言として聞いて頂きたい私の自論。上記の話だけでは状況的な話だけで、何故 大和か?の核心に触れていない。私的には大和と河内の間にある二上山麓の屯鶴峯に答えがあると思っている。
屯鶴峯は石器時代から『サヌカイト』の産地として知られている。古い時代から矢じりや包丁など製作する技術集団が居たに違いないない。ただ、この屯鶴峯は他に『凝灰岩』や『金剛砂』の産地としても知られている。凝灰岩は後の世の古墳の石棺などに加工されるマシナブル材料。金剛砂は歴史的にも研磨剤として有名な素材。古代から有用な石の素材が三種も産出する屯鶴峯。石を扱かう技術が長い時間継承され、他にない技術集団が形成されていたのではないだろうか。
当時既に青銅器や鉄器が混在する時代。中国山地のたたら技術で吉備、出雲が力をつける。また筑紫は大陸との交流で物資を揃える。大和、河内は石?で戦う?
金属器は土や石を素材とした金型で加工し、最後に研磨剤で仕上げる。マシナブル素材の凝灰岩。切削素材のサヌカイト。研磨剤の金剛砂。プロセスに長けた技術集団。これが大和の首長の財産。玉は越の国々から来てそれを金剛砂で磨き光らせる。鉄剣は中国山地から来てそれを研ぐのは大和。銅鏡は大陸から来てそれを磨く。天皇家の三種の神器の由縁は類い稀なる加工技術、特に仕上げ工程必須の研磨技術の高さにあり、それで富の集中と武力の充実を成功させた。大和、河内に拠点を持つ『物部』氏の姓が何となくそれを表している気がする。天皇家の番頭として、物作り集団を束ねた姓。三種の神器の管理人でもあった。
以上が何故大和?に対する戯言。

人が集まったのは先の地理状況。それだけでなく、屯鶴峯の石材加工、特に研磨加工の委託による富の集中と武器能力の向上と充実。これにより人、物、金の経営資源の集中が達成でき、他国より強国になったのは、何となくあり得る気がしませんか?

tai********さん

2017/6/2110:53:40

大和盆地が地理的条件に特に優れていたというわけでは無いと思う。歴史の偶然で、出雲や吉備の勢力が天下を取っていても何の不思議もない。
強いていうなら出雲の勢力と戦わずにそれを服従させた政治的判断が功を奏したのでは無いか。(国譲り)国力の温存が可能だったから。
また九州にあった勢力とも何らかの関係があったらしいので(神武東征)大和に移住してきた段階でかなりの勢力があった事と思われます。

例えば織田、豊臣、徳川が天下を取ったのに対して武田が取れなかったのは、尾張や三河の方が甲斐より京に近かったと地理的要因だけでは無い。寧ろ人物の能力や偶然による。
きっと大和に優れた人物がいたからだと思う。

kam********さん

2017/6/1910:45:04

大和が日本の真ん中にあったからだと聞いたことがあります。物流や交易の中心地として最適だったのでしょう。
奈良は低地ではなく水害にあいづらいのも良いですね。時代が下ると灌漑技術があがって河川の氾濫をコントロールできるようになり平地(関東平野など)にも人は住めるようになりました。

kas********さん

2017/6/1908:53:58

やはり西から東に目を向けた時に

当時の大阪(今の)あたりは平地が少なく、あっても湿地帯です。
今の大坂城、難波京跡の周辺は高台となっていたので
一次的には使われています(後世)

奈良盆地は今はない大きな池があり、そこからの河川で
瀬戸内海に出ることが余裕をもって可能でした。
それなりの平地もありました。
もちろん生駒山は大きな島ともいえる防御拠点です。

山城との間にも巨椋池と呼ばれる湖レベルの池と
そこに流れ込む河川があり、瀬戸内から奈良へ、琵琶湖へと
水運に恵まれていました。奈良盆地は便利な土地だったのです。

その地形から後の平安京となる場所は大湿原です。
使いものになりません。

z_x********さん

2017/6/1908:17:03

大和は西からの攻撃に断トツで防衛力の高い陣地です。
天然の不沈空母 淡路島と天然の城壁の生駒山脈があります。
侵入するにも淀川、大和川、紀ノ川の3ルートだけです。
しかも高地側ですからものすごく守りやすく迎撃しやすい。
神武天皇も河内からは攻めあがることができませんでした。
ただし東からの攻撃には特筆すべきことはありません。
だから壬申の乱(vs東国)のときは天智天皇も近江朝に都をうつしました。

そこから考えられるのは大和の敵は西側にいたことになります。
さらに言うと大和奪取は北部九州の繁栄に引導を渡した戦いだったでしょう。
もっというと大和は東国(尾張)勢力のバックアップがあったはずです。

また航法の発達で日本海側からの物流ルートが確立されたのも大きい。
琵琶湖ルートも合わせると大和が東国と西国の中心になります。

そのらのことから推測されるのは
「アンチ北部九州の連合が大和で連合王権を樹立した」です。

※戦国武将の国盗り合戦をイメージして読んでください。

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