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黒澤明監督・・・数年前にアメリカに旅行に行った時のこと、ホテルでTVを観てた...

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ID非公開さん

2017/7/2520:01:38

黒澤明監督・・・数年前にアメリカに旅行に行った時のこと、ホテルでTVを観てたんですが、

日本の番組でいうところのちょうど『徹子の部屋』みたいな番組があってゲストに映画監督のスパイクー・リーが出演していました。彼が言うには「僕が今日あるのはアキラ・クロサワのおかげです。僕は彼を追い求めて、彼を目指して映画を撮ってきました。」とインタビュアーの女性に言っていました。するとその女性キャスターが「では次はあなたが映画監督を目指す若い人達の憧れになってるワケですね?」と言ったのです。そうしたらスパイク・リーの形相が一変して、バッ!と椅子から立ち上がり、彼女の発言を制するように両手を開いて「NO!NO!NO!やめてくれ!クロサワと私を並べるなんてやめてくれ!クロサワは違うんだ!クロサワと私を並べるなんてとんでもない!」と我を忘れてまるで自分を恥じるかのように、あるいはこの会話自体を恥じるかのように興奮していました。僕は「この人にとって黒澤明監督ってよっぽどの存在なんだな」と思って観ていました。皆さんご存知の通り諸外国には黒澤明を敬愛する映画関係者がたくさんいらっしゃいますよね?スパイク・リーはじめジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグ、リチャード・ギア等・・・。この間も、失礼ながら名前は存じ上げてないんですが一人の日本人女優さん(70歳以上の方)が中国の映画祭に招かれてパーティーに出席なさったらしいんですが、その他の有名な諸外国映画関係者にインタビューや写真撮影で盛り上がっていたらしいのですが、知名度のない彼女には誰も寄って来ず一人ポツンと取り残された状態だったそうです。ところが一人のインタビュアーが彼女のところにやって来て着物を着ていたかららしのですが「日本の女優さんですか?」と聞かれたそうです。彼女は「はい。そうです。」と答えたあと黒澤明の作品に出演したことがあることを語った途端、周囲の目つきが変わりインタビュアーとカメラマンが殺到。「黒澤の撮影はどんなやり方なんだ?」「黒澤の作品に出たことはあなたに取って何を意味する?」と質問攻めにあったそうです。その女優さんも「ビックリしました」と仰っていました。それで思ったんですが、黒澤明監督って日本人より外国人のほうがそのスゴさを感じてるんじゃないでしょうか? もちろん日本人でも黒澤明監督を好きな方はたくさんいらっしゃると思います。しかし映画監督や俳優など、映画関係者で”黒澤明”を語る人があまりにも少なくないでしょうか? 今の日本映画の体たらく振りを見ていたら直のことそう感じます。僕もちょっと言い過ぎかもわかりませんが・・・。日本の芸能人・俳優・映画関係者があまり黒澤明を語らないのは余りのも恐れ多いからでしょうか?

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o_0********さん

2017/7/2522:55:08

黒澤明は、「スター・ウォーズ」(1977)のヒットで、ルーカスが「隠し砦の三悪人」をヒントにしたと言うような情報が日本に伝わって来た時、既に過去の人になりかけていました。

黒澤は、映画会社が自社で映画を作っていた撮影所システムと呼ばれる時代に優遇されていた一握りの巨匠と言う特別扱いの監督だったので、映画館人口が激減し映画が斜陽と言われる時代になると、映画会社にとって厄介な金食い虫になります。

それでも、まだ黒澤の名前で客を呼べていた60年代前半くらいまでは良かったのですが、「トラ・トラ・トラ!」と言う日米合作映画の日本側監督を任される頃には精神状態がおかしくなっていたらしく、あまりに特異な撮影方法にこだわって撮影が進まないことから解雇。

その後、初のカラー作品「どですかでん」(1970)も成績が奮わなかったことで、東宝は一旦縁を切ります。

1971年、自殺未遂…

つまり、普通の人はこのニュースで、そう言えば、昔、黒澤って言う監督がいたっけ…程度の認識になっていたと思うんです。

もはやかつての黒澤映画のような贅沢三昧の映画など作る余裕は日本にはなくなっており、黒澤の過去作品をアメリカの映画学校時代に学んで崇拝していたルーカスやスピルバーグが協力したり、海外の出資を待つしかスポンサーがいなくなります。

知名度の復活を背景に久々に東宝が出資した「影武者」(1980)は当時の日本の配給収入記録を作ったんですが、2年後にはあっさりテレビ局映画の「南極物語」と角川映画の「探偵物語」と「時をかける少女」に抜かれてしまいます。

正直「影武者」の評価も微妙でした。

黒澤が低迷していた間に、時代が大きく変わってしまっていたんですね。

今、映画業界で黒澤を語る人が少ないのは、黒澤の全盛期だった撮影所システム時代に関わりがあった人がほとんどいなくなって来たことと、70年代以降、黒澤組に参加していた方々も、黒澤が亡くなって以後は次第に目立たなくなりましたし、映画作りの現場そのものが撮影所時代とは全く別のものになりましたから、黒澤のやり方を参考にしようとする人もいなくなったのだと思います。

好き勝手に金を使い、現場から上がって来た請求書の合計額が最終的な製作費になるなんて「どんぶり勘定」みたいな撮影所システム時代のやり方なんて、もはや何の参考にもならないでしょう。

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loo********さん

2017/7/2600:22:56

黒澤さんは存命中も国内で酷評されることの多い監督でした。羅生門のころから、ベネチアグランプリは西洋のオリエンタルへの興味のお陰であるとか言われてました。
現在の黒澤映画の評価について密かに思っているのは、映画界に多大な影響を与えた蓮實重彦さんの評論のせいがかなりあるんじゃないかということです。70年代、蓮實さんの黒澤映画を否定するような批評があり、彼の圧倒的な博識を駆使した評論の数々は、自称インテリたちの自尊心をくすぐりまくり、模倣やフォロワーを大量生産しました。
その為に例えば、黒澤より小津、溝口、成瀬。チャップリンよりキートン。といった風潮が出来上がってしまいそれが脈々と受け継がれてきたように感じます。当時の斜陽の映画業界の行き詰まり、ニューシネマやATGの勢いもあって、世界進出も失敗した黒澤は完全に過去の遺物扱いされてしまった事情もあります。
影武者で日本映画界に復活を果たすも、勝新問題のごたごたや、国内の芳しくない批評、作風も娯楽路線ではなかったことが災いして、その後の黒澤の正当な評価を妨げてしまったように思います。
もちろん宮崎駿や北野武、大林宣彦に山田洋次、大島渚、塚本晋也など黒澤を敬愛する映画人は多数いますが、さらに若い世代になると一気に小津、成瀬にいっちゃう感じがしますし、純粋に手法や演出で語れる小津や成瀬や溝口と違い、黒澤はストーリー込みの技法だから影響を受けづらい、真似しづらいってこともあるでしょう。むしろ黒澤に影響を受けた海外の監督たち、レオーネやペキンパーやコッポラやスコセッシなどに影響された人たちが邦画界の中心になってきますね。

ちなみに蓮實さんは後々、黒澤の好きな映画はたくさんあるとか、チャップリンは偉大な叙情詩人だとか、二者択一はいけないとか仰っていて、ずっこけた覚えがあります。
最近の記者会見とか、蓮實さんはひねくれっぷりが面白い人です。

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