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インパール作戦で補給物資なし、インパールでイギリスとの戦争は弾薬なしでどうや...

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ID非公開さん

2017/8/1607:15:17

インパール作戦で補給物資なし、インパールでイギリスとの戦争は弾薬なしでどうやって戦ったのですか?

インパールで現地の村で過ごし戦後戻ってきた人いますか?

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mpv********さん

2017/8/1620:29:40

弾薬、補給は現地調達、つまり敵や原住民から奪えっ、というありえへん命令で、ジンギスカン作戦という笑えない作戦でした。武器弾薬などの移動手段として牛を支給されたそうですが、当然のことながら半数以上かわ流されたり崖から落ちたり全く役に立たなかったようです。しかしそんなことは容易に想像がつきそうなものですし、アクの強い牟田口廉也中将は多分周囲から進言出来る様な人格ではなかったのでしょう。豪雨の中、険しい道無き道を泥に埋まりながらの進軍。弾薬どころか、食料、薬も無いわけでイギリスに当然ながら叩かれまくります。戦死者を上回る病死、餓死。それでも生還された方々がおられますが、PTSDに苦しみ語る事なく墓場まで体験を持って亡くなることが多かったのでしょう。

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rai********さん

2017/8/1610:20:46

インパール作戦の生存者の証言記録はYoutubeで見られます。

20日分の食糧と弾薬など兵隊一人一人が20キロを背負い、
牛に銃器を載せて山岳地帯に入った日本軍ですが、途中の川越えで
牛の半分以上は流されてしまい、山に入っても牛は動こうとしません。

全てを捨ててコヒマに近づいた31師団も、戦闘が長引くと食糧・弾薬を
使い果たし、佐藤師団長の撤退命令で退却を始める訳ですが、
生存者の証言は生々しいものです。

作戦開始前に食べられる野草の見分け方などを軍は教えていた様ですが、
どんな草でも飢えた兵隊たちで取り合いになっていた様ですし、
30名の兵士に米1合の配給で一人当たりは指先で摘まむ数粒であったと。

イギリス軍が自軍の兵士への補給物資を航空機から投下すると、
それを奪う為に敵陣に近づき、運が良ければ栄養補給が出来たと。

雨季になって衛生状態が最悪になり、豪雨が体温を奪い体力を減衰させ
アメーバ―赤痢、マラリアが蔓延して、200メートルを退却するのに
何時間も掛かっていたと。

goi********さん

2017/8/1609:18:32

第18軍司令部は、毎日員数分の食糧をラングーンから出しています
弾薬も要求に応じて送っています

輸送は各師団が持つ輸送部隊がやるのでそれがどうなったのかは師団の責任なんで作戦司令部ではわかりませんが

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