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寛永通宝は、鉄が出てきますけれど、流石にやりすぎだったのですか。 最後の辺り...

rit********さん

2017/9/215:49:57

寛永通宝は、鉄が出てきますけれど、流石にやりすぎだったのですか。
最後の辺りになってきますと、鉄で鋳造したモノが登場するみたいです。
鉄はさすがにアカンかったのですか。
田沼時代に

南鐐二朱を作ったのと同じ人物が四文銭を同様に建議して発行するのですよね。
波銭と呼ばれる四文銭は、綺麗だったこともあり素材量目もそこまで無茶苦茶していなかったので成功したのですね。
その後色んな貨幣が登場してきますが、鉄の銭はさすがにダメだったのですか。
鉄って、特殊加工でもしない限りは錆びますよね。

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oka********さん

2017/9/219:11:27

元文四年(1739)江戸の十万坪・小梅・押上、仙台の石巻、摂津国加島、紀伊国和歌山などの各地の銭座でいっせいに鉄銭が鋳造されるようになり、地方の銭座における新規鋳造も鉄銭一辺倒になっていきました。明和五年(1768)には真鍮四文銭が新定されましたが、これも万延元年(1860)には鉄銭になりました。

真鍮四文銭は金座に対抗意識を持つ銀座が、銅銭鋳造事業の金座独占(幕府は元文期には鋳造希望者を募集して各地に銭座をつくらせたが、乱脈に流れ始めたので、明和二年、金座に鋳銭定座を命じ、この銭座以外での鋳造を禁止した)に対して、幕府要路に猛運動を展開し、そして銀座が滞納している上納銀を返済させると言う名目で勘定吟味役の川井越前守(後の勘定奉行)が考案して銀座管轄の銭座で鋳造されたものです。ちなみに四文銭の裏の波模様は川井越前の改紋・青海波から採ったと言われています。これで一文銭は金座、四文銭は銀座と言う分業体制が採られたわけで、銅銭鋳造は幕府の間接事業となりました。しかし、この初めての四文銭は庶民からは不評を買いそうだったので、材質を真鍮にし(金色になるから)、裏には21の波の模様を鋳出すなど演出を凝らしました。庶民もそれを見破って、
『四文銭 鬱金(ウコン)の色はよけれども
かわいや裏は波(並)の一文』
などと落首しました。それにもかかわらず、明和六年(1769)裏の波数を11に減らし、文政四年(1821)になると材質に真鍮を使うことを止めました。庶民が四文銭に慣れて円滑に流通するようになれば、カッコよくすることも必要ではなくなったからです。それで当時の人々は明和期の四文銭を青銭(真鍮は手ずれで青くなる)と呼び、文政期のものを赤銭と呼びました。

質問した人からのコメント

2017/9/9 10:11:33

吉宗時代には作られるようになったのですね。
これは意外に早い印象を持ちました。
財政難と言うよりも、銭を沢山作って経済活動が滞らないようにしたのでしょうか。

ベストアンサー以外の回答

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for********さん

2017/9/218:01:13

鉄の寛永通宝も、出てきたときは銅銭と同じ1枚1文でした。
しかし、そのうち人々は鉄を嫌い、価値が下がり、鉄銭を1文として銅銭は
2文⇒4文⇒・・・と変化し、最終的には16文となりました。
つまり銅の1文銭1枚と鉄の1文銭16枚が等価になったのです。
このあたりの変遷は次のサイトが参考になります。

http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J076.htm

mug********さん

2017/9/216:58:04

銭貨の鋳造は民間にも委託されていたので、原材料の安価な鉄銭が作られるようになったのです。鉄銭は錆びるし、欠けたりするので粗悪銭(鐚銭)と呼ばれます。質が良いのは銅銭や真鍮銭です。

him********さん

2017/9/216:21:02

銅鉱山が枯渇してしまったのが大きかったのでしょうね。ゆえに銅銭が新たに鋳造できなくなっていたのです。ですが、経済規模の拡大は続いており、通貨自体の需要はかなりあったのです。まあ、江戸末期というのは幕府は金欠だけど、民間には資本があふれていて、経済活動自体は活発でした。なので、鉄銭でもいけるかなと思って、発行しちゃったわけですね。まあ、そりゃ、不評でしたがね。それでも、65億枚も流通していたらしいので、不評でも不評なりに使われていたのは確かなようです。
そこで、波銭を作ったのですが、このせいでむしろ、鉄銭が一気に暴落し、市場を混乱させてしまいました。波銭自体は好評だったのですが、数がたくさんつくれなければ、経済政策としてはそれは失敗ということになります。波銭は量産できずに失敗したってことになります。鉄銭よりこれの方が安全と思った民がタンス預金してしまい市場から消えてしまったからです。
どうせ、錆びるし、不評なのはわかっているよと割り切って、大量に作ることを考えて雑につくった鉄一文銭の方が経済政策としては成功だったといえます。今、僕たちの使っている一万円札も物自体の価値でいえばただの紙であり、鉄一文銭と変わりはありません。ただ、需要と供給を守って適切な数量を流通させれば、貨幣としては成り立ちます。すくなくとも鉄一文銭は30年はそこそこ安定して使えたのです。

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