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宮沢内閣、つまり自民党内閣だけでなく、自民党でない内閣もダメだった。韓国の金...

kar********さん

2017/9/2216:08:45

宮沢内閣、つまり自民党内閣だけでなく、自民党でない内閣もダメだった。韓国の金泳三大統領も、クリントン大統領も、決断力が無かった。その優柔不断が事態を悪化させ、現在の危機的状況を招い

た。

結局、自民党だけでなく、日本の政治家は野党も含めてダメダメだった。
では、当時の日本の政治家は何をするべきだったでしょうか?

宮澤内閣 1991年(平成3年)11月5日から、
細川内閣 1993年(平成5年)8月9日から、
羽田内閣 1994年(平成6年)4月28日から、

http://www.huffingtonpost.jp/tomoko-nagano/north_korea_america_b_16...

「戦争が近づいている」 1994年、朝鮮半島・核危機の裏で何が話し合われたのか

北朝鮮はIAEAの査察を拒否し、94年6月、北朝鮮はプルトニウムの抽出につながる燃料棒取り出しを強行。さらにはNPTからの脱退を一方的に宣言した。

羽田孜元総理はこう振り返る。

「例えば敦賀原発、そこにミサイル一つぶち込まれたら、大変なことになるわね」

戦後初めて「戦争が近づいている」という事態に、日本政府は極秘に検討を重ねた。本格的な戦争となれば、軍と民間の死者が100万人を超えるという予測が出される。韓国の金泳三元大統領は「もし、アメリカが攻撃したら、北朝鮮はすぐソウルを攻撃するんですよ。それで私は『絶対ダメだ』とクリントンに何回も電話しましたよ」という。

実は1994年2月、クリントン大統領と細川総理の日米首脳会談が行われている。「日米包括経済協議」、つまり経済がテーマの会談とされ、実際、会談については「包括経済協議、決裂」と大きく報じられた。

しかし、「サンデーステーション」のコメンテーター・後藤謙次氏が当時の石原信雄元官房長官に取材をしたところ、この協議内容のほとんどが実は北朝鮮有事に関するものだったのだという。クリントン大統領から「日本はどこまでアメリカ軍に協力できるか」と迫られ、現状の法整備下においては何も答えられなかった細川元総理が、想定される事態に対し何が必要かを極秘裏に検討するよう指示を出したのだという。このことは、まったく国民には知らされることはなかった。

1994年には、米軍の攻撃目標は寧辺周辺にある核関連施設一か所だった。これをピンポイント攻撃するものだが、これによって100万人以上の韓国人と10万人以上のアメリカ人が死亡するとの試算が米政権内で出された。

果たして、現在はどうか。一か所だった核関連施設の数は複数個所になり、さらには核兵器をミサイルに搭載できる可能性もあり、日本を射程にいれた「ノドン」は実戦配備の段階とみられている。武力有事になれば、94年の予測をはるかに超える死者と被害が想定されることは間違いない。

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jun********さん

2017/9/2515:49:36

批判だけなら誰でも出来る

  • 質問者

    kar********さん

    2017/9/2517:48:14

    そうです。実行が必要だったのです。その実行が無かったので、現在、苦労しているのです。先延ばしすれば、事態は何とかなる、ややこしい事は、次の世代が解決してくれ、問題先送りの結果が今なのです。

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質問した人からのコメント

2017/9/26 20:42:35

ドーチェ、ドーチェ。広東語

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