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藤原頼通の娘には皇子が生まれなかったため、藤原氏の娘を母としない、後三条天皇...

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ID非公開さん

2017/9/2415:25:19

藤原頼通の娘には皇子が生まれなかったため、藤原氏の娘を母としない、後三条天皇が即位。

この意味が全くわかりません。

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wak********さん

2017/9/3023:01:26

そうですね、ちょいちょい省かれていますからね。
それに確かにちょっと説明が変ですね。
質問者さんが分からない部分はなんですか?

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ベストアンサー以外の回答

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rei********さん

2017/9/2419:39:50

そうでしょう。

頼道は皇族の妻の言いなりで側室の子は養子にだし妻のめいである赤の他人を養女にして后としたうえに、先の后の実の姪をおとしめました。

その姪の子が後三条で、報復をおそれ、廃太子させようとしましたが、これに代わる男子ができず、ついに即位した後三条により様々な改革がおこなわれます。

2017/9/2416:21:47

人臣摂政・藤原良房以来、藤原氏は、天皇の外戚(祖父)として連綿として、摂政関白の地位を保ち、藤原道長の時代に摂関政治の全盛期を迎える。

その子・藤原頼通も「一家三立后」を実現した道長同様、娘の入内、(孫)皇子の外戚の地位を求められる対場になれるよう官位・官職の昇進、藤氏宇治の長者の戦時を受けた。

しかるに、頼通は側室・子が少なく、入内猿に適当な娘も一人しかおらず皇女をなしただけで亡くなった。
頼通の弟・教通が入内させた娘にも皇子女が生まれず、

藤家主流が、天皇の外戚の地位を保持することができなくなった。

けっか、藤家を外戚としない後三条天皇の即位となり、摂関政治の盛期が終わりを告げた。

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